お姫様扱いされる攻×健気で礼儀正しい従順な受②

今夜もグランシャリオのカウンターは、氷の姫君を求める男たちの群れで埋め尽くされていた。
そんな彼らに一瞥もくれてはやらない件の姫君――もとい、その内側に獰猛な素顔を隠した一条怜はいつもの如く美しい顔に冷たい仏頂面を張り付け、投げかけられる口説き文句を右から左へと容赦なく聞き流している。
そもそもの話、言い寄られる事が迷惑であると面と向かって宣言すれば済む話ではないかとも思ったが、それをあえてしないという事は、なんらかの思惑があるのだろう。
余計な口出しはするまいと真琴は口端に微かな苦笑を浮かべると、横目で彼らの不毛なやり取りを眺めながら今日もカクテルづくりとグラス磨きに勤しんでいた。
常連たち曰く、ここ最近の怜はいつにも増して色香が増しているらしい。
はて、真琴の目からは普段通りの彼に見えるがと、いつかの終業後、それとなく本人に尋ねてみたところ「それは真琴君と結ばれたからだろうね」などと常連客達が耳にしたら卒倒してしまいそうな甘い台詞を囁かれ、そのまま自宅マンションへと連れ込まれてしまったのは、ここだけの話である。
ほとんど言いくるめられるような形で怜と恋人関係になってから約一ヶ月、これといった問題は起こっていないし、相手に対する不満も特には抱いていない。
接客時とは打って変わって情熱的な愛情を無遠慮にぶつけてくる怜の変貌ぶりに戸惑いこそ感じてはいるものの、それはそれで悪くないというか――むしろ、優越感に浸れるのだ。
普段は冷たく閉ざされている美貌がほころぶ瞬間をひとり占め出来る喜びは、恋仲にでもならなければ味わう事が出来ない特権だろう。
今夜も閉店後、彼の自宅にて共に食事をする予定がある。
ここの所、ほとんど自宅へ戻ることなく一条宅で夜を過ごしている気がするのだが、家主が構わないと言っているのだ、有難く入り浸らせて頂こう。
現在の時刻は、午前零時を丁度回ったところだ。
閉店まであと一時間と少し、そろそろ常連の客たちも席を立ち始める頃合いである。
グラスや食器の片づけにぼちぼち取り掛かるかと真琴が洗い場に入ろうとしたその時、新たな来客を告げる鈴の音がチリンとひとつ鳴り響いた。

「いらっしゃいませ」

来店の客にすら挨拶の言葉を口にしない怜に代わって真琴は反射的に歓迎の言葉を発したのだが、

「……あれ?」

扉をくぐって現れた男の顔を見て、驚いた。

「久しぶりだな、有村」

そこに立っていたのは、かつての真琴の同僚である西島佑都である。
精悍な顔立ちを引き立てる凛々しくも力強い眉。それと、深夜帯にも関わらずピッタリと整髪料で後ろへ撫でつけられたまま一切の乱れを見せない短い黒髪。極めつけは、わざわざ言葉で尋ねなくとも学生時代はスポーツに勤しんでいたであろう事が分かる逞しい体躯。
現役アスリートか、それとも肉体派若手俳優かといった容貌だが、彼はれっきとした高級ホテルレストラン専属のウエイターである。
己の容姿に自惚れることなく勤勉な彼は客前で決して笑顔を絶やさぬ、云わば怜と真逆の接客方針をたてている男なのだが、実のところ根っこの部分は我が氷の姫君と似通っているかもしれない。
――あまり大きな声では言えないのだがこの男、外面は見てくれを含めてとても良いのだが、内面にかなりの癖がある。

「どうしたんだ、急に……」

グラスを磨く手を止めて真琴が尋ねると、西島はその髪型同様、崩れ知らずの爽やかな微笑を保ったままカウンター席へと腰を下ろし、真琴の前をまんまと陣取った。

「近くをたまたま通ったんだ。折角だから、お前の働きぶりを覗いてみようかと思ってね」

浮かべた微笑に相応しい、清涼感溢れる物言いであったが、その言葉の裏に潜む真意を想像し、真琴は思わず苦笑いを浮かべてしまう。
実はこの男、勤勉過ぎるあまり野心が強く、周囲への対抗心が凄まじい。それに加えて執着心も人一倍強烈らしく、一度目を付けた相手の動向は徹底的に調べ上げる性質なのだ。
ホテル勤務時代、真琴はどうしてだか彼の気を引いてしまったらしく、シフト状況から勤務態度、果ては基本給与や賞与の額に至るまで徹底的に調べ上げられ、いちいち自分の成績と比較するものだから始末が悪かった。
恐らく今日、グランシャリオを訪れたのも転職した真琴の働きぶりを観察する為なのだろう。
まさか職場を変えてからも執着されるとは思いもよらず、面倒なことになってしまったなと肩を落とさずにはいられない。
だが、しかし。どうやらそれは思い違いであったらしいという事に、真琴は後々気付くこととなる。

「噂通り、だな」

ロックグラスを傾けながら、ふと西島が呟いた。

「……え?」
「店主目当ての客だらけとは聞いていたけど、正直驚いた」

声を潜めながらそうほくそ笑む西島の視線が、鉄壁の仮面を張り付けた怜へと流される。

「どんな美人がいる店なのかと思ったら、まさか男だったとはな。まあ、あれだけの上物なら性別なんて関係なくなるか」

怜の噂はそこまで広まっているのか、それとも西島がいつもの如く、綿密に調べ上げたのか……。
どちらにせよ、やっかいな状況である。なんせ客を集めている怜の接客態度がああなのだ。同じサービス業に携わる人間であり、尚且つ仕事熱心な西島から見れば許されざる存在に違いない。
案の定、彼は鼻白んだような表情を真琴以外の人間には映らない角度でひっそり浮かべると、その身を乗り出し、怜はいつもあんな調子なのかと呆れた調子で耳打ちをしてきた。

「口説かれ過ぎてうんざりって顔してるけど、いいのか?」

今時、高飛車な接客はキャバクラですら通用しないぞという彼の言葉は、もっともな忠告である。
だが、前述の通りあえて怜が常連客達の言葉に応じていないのであれば、経営などに携わらない雇われ従業員である自分が横から口を出すわけにはいかないのだ。
幸い、常連客達はそんな怜の「塩対応」に改善を求めてはいないようだし、そもそも躍起になって利益を求めるような営業方針とも違うので今のところ表立った問題はない……はずである。

「あれは、うちの店の名物みたいなものだから」

どう返答したところで恐らく仕事に厳しい西島は納得しないだろうと真琴は苦笑を浮かべたまま、適当に言葉を濁しつつグラス磨きを再開する。
そこからしばらくは他愛もない談笑を続けていたのだが、常連客達がカウンター席からすっかり姿を消した閉店間際の午前一時過ぎ、西島もようやく席を立ったかと思うとあろうことか、キャッシャーにて売り上げの確認作業を行っていた怜の元へと歩み寄って行ってしまった。

「ちょっと、西島――!」

慌てて真琴が制止の声をあげたものの、時既に遅し。

「遅くまで居座ってしまってすみません、有村君と久々に会えたのが嬉しくて」

どうせ声を掛けたところで聞き流されるだけなのに、と真琴は二人の様子を遠目から見守っていたのだが、予想に反して怜は現金を数える手をぴたりと止めた後、その視線を眼前に立ち塞がる西島へと向けた。

「……真琴君とは、どのようなご関係なのでしょう」

氷の姫君が西島の言葉に応じ、尚且つ会話まで繰り広げているという事実に真琴は驚嘆した。
常連客たちが全員姿を消したから応じてみせたのか――否、むしろ西島の方がタイミングを計っていたのではないだろうか。怜から反応を引き出すため、店内から他の客がすべて出払ってしまう瞬間を待っていたのではないだろうか……。
洞察力に長けた彼のことだ、それくらいの事はやりかねない。

「職場の同僚だったんですよ。僕もホテル勤めなんです」

西島の返答を受け、怜の視線が今度は真琴の方へと流される。
まるで西島と同僚であるという過去を責めるような、厳しい眼差しだった。

「ようやく今日、ここへお邪魔する事が出来て良かったです。久々に有村君とも話せたし」

相変わらず彼の作るお酒は美味しいですね、と極上の笑顔と共に西島はそう語ったが、恐らくそれが心にもない世辞であるという事に真琴は勘づき、思わず肩を竦めてしまう。
そして怜の方も彼の胡散臭さが鼻についたのか、氷の美貌により鋭さの増した表情を浮かべ、ほとんど睨みつけるような眼差しで西島の笑顔を冷たく見上げていた。
外面が極端に悪い怜と、外面だけはとてつもなく良い西島。似て非なる二人の相性は、どうやらあまり良くないようである。

「客商売は嫌いですか?」

怜の鋭い視線を甘んじて受け止めていた西島が、唐突にずばりと切り出した。

「あなたがこのダイニングバーをどうしてオープンする気になったのか、少し気になってしまって。有村君を雇われたくらいですか道楽でやっているわけではなさそうですし、かといって料理やお酒に強いこだわりを持っているという風にも見えません」

相手が踏み込んでほしくないと思っている領域を瞬時に判断し、そこを的確に真っすぐと突くやり口はさすがだなと思わず舌を巻いたが、感心している場合ではない。
しかし、頭の回転が速く口達者な西島を黙らせることが果たして自分に出来るだろうか。

「西島、それに怜さんも……。その辺にしておきましょう」

言葉で止められぬのであれば、これはもう実力行使しかないと剣呑な睨み合いを続けている二人の間に真琴は己の身体をずいと割り込ませ、今にも勃発しそうだった争いの火種を半ば強引に摘み取っておく。

「申し訳ないけど、もう閉店時間なんだ。それに、明日も早くから出勤だろう?」

激務なんだから早く休んだ方が良い、と更に付け加えながら逞しい胸を押し出すように西島を出入り口の扉へ促すと、彼は少々不満げに眉根を顰めてみせたが、抵抗する素振りは見せなかった。
真琴にされるがまま一歩ずつ後退したのち、彼は扉の手前で足を止めるとふと長身を屈め、にやりと口端を歪めながら耳打ちを一つ。

「じゃあ、俺の代わりに聞き出しておいてくれよ。あの不愛想な美形が、なんで客商売に携わることになったのか」

そんな事を聞き出して一体どうするつもりだと呆れてしまったが、しかし――そういえば、グランシャリオがオープンされたきっかけを、真琴も聞かされていなかったことにふと気づく。
言われてみれば確かに、接客仕事を不得意どころかむしろ毛嫌いしている彼は何故この店を始めたのだろう。
西島が指摘した通り、怜は酒類に強いこだわりがあるわけでもなく、バーテンとしての経験はむしろ真琴の方が豊富であったし、料理に至っては他の従業員に任せきりでメニューの監修すらほとんどしていないのだという。
確かにこれでは西島が好奇心を抱くのも無理はないか、と物思いに耽っていると、

「真琴君、どうかしたの?」

西島がようやく店内から姿を消したことで氷の仮面を取り払った怜が、訝し気な表情でこちらの顔を間近から覗きこんできた。

「あの、怜さん……」

踏み込んでしまっても良いのだろうか。
職業柄、相手が自ら打ち明けない話題にこちらから触れることを意図的に避けている真琴としては、たとえ大した理由が存在していなかったとしても、なかなか切り出しにくいものがある。
さて、どうしたものかと口ごもっていると、先ほど西島と対峙していた時の冷たい眼差しからはとても想像がつかないほどの柔和な微笑をふわりと浮かべた怜は、こちらの顔を覗き込んだまま、言葉の続きを促すようにじっと待っている。

「その、ですね……」

なにかと秘密の多い彼ではあるが、親しい人間に対して非常に優しく、懐が深い男だ。多少、不躾な質問を投げかけたところで機嫌を損ねたりはしないだろう。そもそもよっぽど特異な生い立ちでもない限り、開店の経緯に地雷が潜んでいる可能性などそう高くはないはずだ。
世間話のように切り出せば、きっと彼も優しい笑顔と共にグランシャリオについての物語を語り聞かせてくれるに違いない。
だが、なんとなく気が引けてしまったのは――。

「真琴君」

ふいに伸びてきた冷たい掌に頬を包まれ、視線が近づく。

「僕のこと、知りたい?」

迫る美貌と、こちらの心を見透かしたかのような甘い口説き文句に思わず息を呑んでしまった。
強引な展開で丸め込まれてしまったとはいえ、互いに了承のうえで恋仲となったのだ。相手のことを知りたいと思うのは、当然の欲求である。
しかし、真琴はどうしてだか怜の内面に触れる事が、ほんの少しだけ怖かった。
深淵をのぞくとき、また深淵もこちらをのぞいている――そんな哲学者の言葉の如く、怜の深層に触れるたび、そのまま沼の底までゆっくりと引きずり込まれてしまいそうな感覚に陥るのだ。
触れたいと望めば望むほど、戻れない場所まで沈んでいくような不思議な錯覚。
ああ、もしかすると常連たちは怜の中にあるそういった魔性の香りに惹きつけられているのだろうかとぼんやり考えていた真琴の唇に生暖かい吐息が妖しく掠め、ぎくりと肩が跳ね上がる。

「話の続きは、僕の家で……ね」

瞬間、底なし沼に足首を捉われたような気がした。



グランシャリオからさほど離れていない場所に、怜の自宅マンションは構えられていた。
築年数は三十年を越えているらしいが、外壁、そして部屋の内装ともにセンス良くリノベーションが施されており、また手入れも良く行き届いている為、下手なデザイナーズマンションよりも数段住み心地が良さそうな物件であった。
曰く、単に店からとても近かったので選んだだけの事だと怜は謙遜してみせたが、それなりに吟味をした上でここと決めたのだろう。
真琴はいつのも如く促されるまま飲み物を受け取りつつソファへ腰を下ろすと、まずは先ほど西島がやらかしてくれた非礼を詫びなければと隣に座る怜へと改めて向き直った。

「あの、先程は本当にすみませんでした。私の元同僚が礼儀を欠くような真似をして……」

言いながら肩を竦めると、怜はミネラルウォーター入りのグラスに唇を付けたまま、ほんの僅か不貞腐れたような表情を浮かべて真琴の仕草に倣うよう彼もまたその肩を小さく竦めてみせる。

「あの子、君のことがよっぽど好きなんだね」

妬けちゃうな、と零した怜の意外な胸の内に驚いた。
まさか彼は、西島が真琴へ歪んだ好意を抱いている故、ああやって退職した後も付きまとうのだと考えているのだろうか。
そんなはずはない。西島は、誰に対してもこうなのだ。
仕事の鬼である彼は、とにかく自分より評価される者、出世が早い者、上司からの信頼が厚い者――すべてを敵と見做し、蹴落とそうと躍起になる。
「今日、たまたま店の近くを通りかかった」という西島の説明は、恐らく真実であると真琴は思う。
そのついで、新天地で真琴がどんな働きぶりを披露しているのか小姑の如く観察してやろうという魂胆を抱いて来店した結果、元同僚よりも突つきがいがありそうな怜を見つけた為、途中で矛先を変えたといった所か。まったく、どこまでも性格の捻くれた男であると呆れずにはいられない。

「よしてください、西島は仕事に身も心も捧げているような男です。同性どころか、とびきり美人な女性にすら見向きもしません」

見てくれだけであれば非常に好青年なのだが、あのような性格では恋愛どころか友情を育むことすら難しいのではと懸念してしまう。
しかし、怜の方はこちらの説明に納得がいかないようで、切れ長の瞳で真琴の顔をじとりと睨め付けたまま、不愉快そうにフンと鼻を鳴らしてみせた。
が、西島との関係については、それ以上の言及を止めたようである。
そういえば、とグラスを傾けながら、話題を退店間際に交わしたあるやり取りの続きへと巻き戻す。

「真琴君は僕のなにが知りたいの?」

途端、彼の表情に奇妙な艶が滲み始めた。

「あ、えええと……」

なぜ、グランシャリオをオープンする事になったのか。
そう問いかけようと真琴は口を開きかけたのだが、ふいに近づいてきた怜の濡れた唇に気を取られ、思わず息を詰めてしまう。
先程までミネラルウォーターを含んでいたせいだろうか、普段よりも艶めいて見えるその唇は、いやに艶めかしく劣情を誘う。

「怜さ……!」

この男は、こちらに話をさせる気が果たして本当にあるのだろうか――。
思わずそう呆れてしまうほど、彼は唇と共にその身ごとずいと寄せ、しなやかな指先で真琴の下顎を掬い、魔性の瞳でこちらの胸の内すら覗き込もうと熱く視線で貫いてくる。
こうなってしまっては、もう手は付けられないだろう。
恐らくこのタイミングで話をしたところで、それはこれから始まる情交の添え物と化してまともな返答は得られそうもない。
優しくも強引な恋人のやり口に真琴は戸惑いの表情を浮かべつつも、観念したようにその目をゆっくりと閉ざし、彼の欲望を受け止める覚悟は出来ているという旨を無言のままに示してみせた。

「……っ、ん」

まるで贄が差し出されるのをずっと待っていたかのような獣じみた性急さで、瞬間、唇が奪われる。
一ヶ月という決して長くはない交際期間の中で気づいたのだが、彼は少々加虐的な攻め方をする男らしい。
もちろん、こちらの心身を傷つけるような真似は決してしないのだが、意地の悪い愛撫を施して相手が焦れる様を楽しんだり、有無を言わせぬ快楽であっという間に酔わせてしまったりと、なかなか危険な嗜好を持っている。
怜の深層に触れたくなかったのも、こういった一面を知っていたからなのだ。
触れればとろけ、覗けば溺れてしまうような彼の内面に飛び込んでしまえば最後、その水面に沈んだまま二度と元には戻れなくなるような気がして、恐ろしい。

「ごめんね、真琴君。話は後で聞いてあげるから……」

言いながら怜は形良い唇を今度は真琴の首筋へと寄せ、その稜線を辿るように舌先をゆっくりと滑らせていく。
ひんやりとした感触が、心地よくも妙に照れ臭かった。
ぞくりと肌が粟立つたび、そして嬌声を堪えるたびに怜が嬉しそうに微笑むのも居た堪れない。
喜んでもらえるのは何よりだったが、しかし、はしたなく身悶える姿をあの美しい切れ長の双眸で見られているのだと思うと羞恥のあまり、泣きたくなるのだ。

「怜さん……」

か細い声でその名を呼びながら、真琴は彼の背中に腕を回し、つま先からこみ上げるじりじりとした熱をどうにかしてくれと縋りつく。
いつだって愛撫の最中は、一方的に与えられる快楽を享受するだけである。男としてそれを情けなく思う事も多々あったが、致し方ない。
今夜も恐らく、ぐずぐずに溶けるまで体中を撫でまわされるのだろうと肌を震わせた真琴であったが、どうやらこの日の怜は西島との一件もあってか、いつも以上に意地が悪くなっているらしい。
ひとしきり真琴の汗ばんだ肌を舌先や掌で楽しんだ後、ふとその身体を離して小悪魔じみた魔性の微笑みでその口端をにやりと妖しく歪めてみせる。

「今日は真琴君に、舐めて欲しいな」

親指の腹で真琴の唇をゆっくりと撫で上げながら、極上の微笑を浮かべつつ怜はねだる。

「真琴君のココで、気持ち良くして?」
「あ……」

まさか口淫を要求されるとは思いもよらず、真琴はその唇を戸惑いに戦慄かせたが、逡巡の後、こくりと小さく頷いて怜の要求を素直に受け入れることにした。
今まで、一方的に乱され続けてきたのだ。享受するばかりではあまりにも怜が不公平だろうと意を決すると、ソファを降りてカーペット上に膝をつき、その身を怜の両脚の狭間へと滑り込ませる。
たつきながらも寛げたスラックスの中から現れたそれは、既に熱を持ってその頭を擡げていた。
頭上の美貌からはとても想像がつかないほど凶悪に脈打つそれをこうしてまじまじ眺めるのは、初めての事である。

「……っ、ん」

そっと慎重に下着の中から陰茎を取り出し、まずは先端へと唇を押し当て、啄むような仕草を繰り返しながら亀頭を刺激していく。
男の性器を口で慰めた経験など一度もない真琴のつたない愛撫でどれほど劣情を育て上げることが出来るだろうという不安ばかりが胸を占めたが、口腔内に含んだそれに必死で舌を這わせ、滲む先走りを啜り続けるうち、焦れた指先が真琴の後頭部へと回された。

「上手、だね……」

はしたない姿で奉仕を続ける自分の姿へと向けられた称賛が、むず痒い感覚となって爪先から駆け上がってくる。
羞恥と喜悦の入り混じった、電流のような奇妙なそれ。
もっと褒められたくて、しかしこれ以上、触れてほしくはなくて、真琴はより深く怜の熱を咥え込むと、せかすように口腔全体を使って絶頂へと追い立てていった。

「ン、ふ……」

喉奥で膨らむ熱の感覚が、ひどくいやらしく思えてくる。
潔癖そうな美貌の持ち主である怜が自身の雄を滾らせ、欲望を露わに曝け出す姿はあまりに背徳的で、刺激的だった。

「もういいよ、真琴君」

ずるり、と口内から陰茎を引き抜きながら、彼はその美しい顔を紅潮させながら妖しく微笑む。

「本当は最後までして欲しかったけど、我慢できなくなっちゃった」

ごめんね、と悪戯っぽく告げながら、再び真琴をソファ上へと引き上げた彼は、一体どこに忍ばせていたのか、個包装されたローションのパッケージを咥えて引き破ると、

「あァ、っ……!」

それを真琴の臀部へと念入りに塗り込んだ後、しなやかな指先を一息に突き立ててみせた。

「ッ、ふ……。怜さ……!」

何度も情交を重ねるうち、体が慣れてきたのだろう。以前ほどの違和感はなくなり、幾分かスムーズに怜の指先を、そして熱を、受け入れる事が出来るようになっていた。
一条怜という男に順応していく己の肉体。同時に絆されていく心。
このまますべてを彼に差し出してしまうのだろうか。だが、それも悪くないかと思えてしまうのは、惚れた弱みという事にしておこう。

「あ、あ……!」

ソファに組み敷かれた真琴の両脚を割って、とうとう怜の楔が潜り込んでくる。
求めるように手を伸ばせば、当然のように彼の指先も絡みつき、宥めているつもりなのか、瞼へと小さな口づけが何度も降り注いだ。

「怜さん、っ」

ゆっくりと、互いの肉体を繋がったその場所から馴染ませるような律動がしばらく続いた後、こちらの圧迫感が引いたタイミングを見計らって怜の挙動は貪るような腰つきへと変化していく。
徐々に毒が回るように、少しずつ全身を悦楽で支配されるような感覚は、いつだって真琴をひどく惑わせて、同時にひどく悦ばせるのだ。
人並の性欲は今までもあったつもりだが、しかし――ここまで真琴を淫靡に掻き乱したのは、後にも先にも怜しかいない。
受け身の快楽は、ここまで強烈なものだったのかと感心すると同時、もう二度と自分は与える側に回ることが出来ないのではないかと不安に思う事もある。

「……真琴君」

掬い上げるような動作で真琴のウィークポイントを的確に攻め立てながら、ふと怜が顔を寄せ、いつにも増して煽情的な表情でうっとりと真琴の名を呼んだ。

「僕のこと、全部教えてあげるよ」

息を弾ませながら彼は甘く囁き、真琴の耳朶をも犯そうと舌先を潜り込ませてくる。

「だから真琴君も、全部見せてね」

瞬間、最奥を力強く抉られ、息が詰まった。

「っ、あ……。だめ、です……ッ、怜さ……!」
「ダメなの?」
「ン、ぁ……!」

もはや意味をなさない嬌声と、これ以上の快楽を否定するような言葉だけを反射的に口走ってしまう真琴を揶揄するように怜は尋ね返しながら、より一層激しく腰を打ち付けて高みを目指していく。

「ダメじゃないでしょ、真琴君」
「ああッ」
「ぜんぶ見せてよ、それから……」

――見せてくれたその全部を、ひとつ残らず僕の物にしたい。
甘く囁いたその言葉は、口説き文句か、縛り付ける為の脅迫か。
真琴はソファの上で身悶えながらしばらく彼の真意を考えていたが、迫る絶頂の波に飲み込まれ、いつしか思考を放棄して気づけば投げかけられる怜の言葉すべてにただひたすら頷いて肯定を示してしまっていたのであった。



「別に、大した理由はないよ。ただ親から店を引き継いだだけ」

激しい情交の後、ソファで珈琲を啜りながら彼は真琴の疑問にようやく明確な答えを紡いでくれた。

「お酒にも料理にも別に興味はなかったから、僕は経営に専念しようかとも思っていたんだけど……」

カップを両掌で包みながら、ふと怜が苦笑を零す。

「従業員のみんなが楽しそうに働いてるのを見てたらさ、僕も一緒に働きたくなっちゃった」

生き生きと仕事に打ち込む彼らの輪に混ぜてもらいたかっただけなのだと肩を竦めながら白状する怜に真琴は面食らうと同時、また知らない一面を知ることが出来たなと思わず口元を綻ばせてしまう。

「ちょっと、真琴君。なんで笑ってるの?」

案の定、怜は可笑しそうに肩を揺らし始めた真琴を見て不満げな表情を浮かべたが、笑うなという方が難しい話である。
心の底から接客が嫌いなくせに、楽しそうに勤務している従業員たちと共に自分も働いてみたいからという理由で店に立ち続けるなど、まるで子供のようではないか、と。
そして、あんな仏頂面で接客をしておきながら実はそれなりに仕事を楽しんでいたのかと思うと可笑しくて仕方がない。それと同時に、怜の事がひどく愛おしくて堪らなかった。

「怜さん、可愛い所もあるんですね」

真琴は素直な感想を口にしたつもりだったのだが、どうやら当の本人は揶揄されたと受け取ったらしい。
相変わらずその双眸は不貞腐れたように眇められていたが、不意打ちの口づけを真琴から一つ贈った途端、今度は驚きのあまり切れ長の瞳が大きく丸められた。

「怜さんは、私のなにが知りたいですか?」

お返しに一つだけ、こちらからも何か秘密を打ち明けると持ち掛ければ、逡巡の後、怜はカップをサイドテーブルの上に置いて一言。

「僕のこと、どれくらい好きなのか知りたい」

などと大真面目な顔で尋ねてきたものだから、真琴は堪え切れず、再びその肩を震わせながら苦笑を零してしまった。
そしてたっぷりと間を空けた後、彼の目を真っすぐと見据えながら、少しばかりの照れ臭さを交えつつも素直に白状をする。

「可愛い怜さんも、お客さんの前ではちょっと怖い怜さんも……。ずっと前から、大好きでした」

恐らくこれから、もっともっと好きになると付け足せば、途端に怜の白い頬が紅に染まる。
どうやら一世一代の告白に満足してもらえたようだと真琴は密かにほくそ笑むと、今度は上気した怜の頬へ、抱えた愛情を示すかのようにその唇を寄せたのであった。