人外×素直になれないギャースカ女子1

何故、このような状況に陥ったのか。
何故、そのような行為を強いられるのか。
しかし、今に始まった事ではない。彼はいつだって理不尽な混沌を伴って姿を現し、美咲の頭を悩ませるのだ。

「という事で、美咲ちゃん。おクチ、開けて欲しいなあ」
「……今度は何を企んでるんですか」

下顎と摘ままれ、引き上げられた美咲の視線は頭上の男――京極の瞳に縫い留められていた。
妖しく煌めく深紅の双眸は、実に楽しげだ。そして実に腹立たしい。こちらの都合など微塵も気に掛けぬその傲慢さに反し、まるで赤子でも宥めるような柔和な口調も輪をかけて美咲の神経を逆なでする。
だが、しかし。こちらの抱いた嫌悪や憤怒を承知の上で彼は態度を改めないのだ。むしろ相手の取り乱す様を楽しんでいる節まである。とことん意地が悪い男だと歯噛みせずにはいられない。

「やだなあ、人聞きの悪い……。別に何も企んでなんかいないよ」
「じゃあ、この状況は何なんです?」
「教えて欲しい?」

妙に弾んだ問いかけと同時、彼の左腕が美咲の腰を強く抱きこんだ。同時に未だ掴まれたままでいた下顎が、より上向く。
迫る視線、触れる吐息。瞬間、悪い予感を覚えた美咲は反射的にその身を引こうとたじろいだが、自らの腰に絡みついた腕に阻まれ、逃げる事は叶わなかった。

「オトナのキス、練習しよっか」

彼の言う「オトナのキス」が果たしてどういった行為を示すのか、何故それを練習する必要があるのか――様々な疑問が怒涛のように押し寄せた為か、思考が追い付かず、拒絶の言葉すら絞り出す事が出来なかった。

「そろそろさ、しておくべきだと思うんだよね」

言いながらにやりと弧を描いた唇は、紅を引いているわけでもないのに赤く熟れ、妙に艶やかである。
時折のぞく肉厚そうな舌先も蠱惑的で、理性の奥底に沈めた劣情を煽りかねないほど艶めかしい。

「きっと、気持ち良いと思うよ」

囁く声音も徐々に甘く蕩け、胸焼けがする。

「キスってね、回数を重ねれば重ねるほど気持ち良くなれるんだ。そんな素敵な感覚を、君と共有してみたい」

こちらの無言を了承と捉えたのだろう。京極は笑みを象ったまま、唇をこちらに向かってゆっくりと近づけていく。
吐息が触れ、鼻先がこすれ合う。
物欲しげに湿った粘膜同士が触れそうになったその直前――。

「だああああっ」

寸でのところで理性を取り戻した美咲は、自らの頭頂部で京極の額を突き上げたのだった。

「……っ、美咲ちゃん。危ないからあんまり暴れないでほしいなあ」

渾身の頭突きがさすがに堪えたのか、珍しく男は苦痛に悶えている。
しかし、依然と腰に回された腕はしっかりと美咲を捉えたままで、状況が好転する素振りはなかった。
それどころか、渾身の抵抗が彼の心に火をつけてしまったらしい。
眇められた深紅の双眸には、半ば悪意にも似た野心――否、ぎらついた情欲が滲み溢れていた。

「美咲ちゃんのそういうトコ、好きだよ」

思い上がりも甚だしい台詞と共に、京極は伸ばした舌先で美咲の口端をちろりと舐め上げる。

「自分の気持ちに素直になれなくて強がったり、そのくせボクのことを完全に突き放せなくて結局は流されちゃったり……」

今度は戦慄く唇を、指の腹でそっと辿られ、凍り付く。
再び声が封じられた。思い込みも大概にしろ、自惚れるな、私の何が分かるんだ、と。鼻先で喚き散らかしてやりたいのに、まるで声を奪われてしまったかのようだった。

「いいよね、美咲ちゃん」

首を横に振る間もなく、とうとう唇が迫って来た。
ほんの一瞬、粘膜の薄皮一枚同士が触れ合い、離れ、吐息がくすりと微笑する。

「あ……っ」

ふいに零れた嬌声は、まるでこの先の愛撫を請うているようで情けなかった。
それは、紛れもない期待である。ひと思いに奪って欲しかったという、自らの深層心理から溢れ零れた浅ましい願望だった。
無論、眼前の男はそんな美咲の葛藤や本音も見透かしていたのだろう。
まるでその内なる要望を汲み取ったかの如く、今度こそ京極は美咲の唇を大胆な仕草で奪い去ったのだ。
角度を付けて、何度も啄む仕草は捕食に近かった。
時折、尖らせた舌先で悪戯に下唇を突かれる感触が堪らない。

「ン……っ、あ……」

反らした喉が、ごくりと鳴る。飲み下した唾液が自らのものなのか、それとも京極のものなのか判別はつかなかったが、焼けるように熱かった。
苦しい。正体不明の感情に満たされた胸も、奪われた呼吸も、なにもかもが。
口付けとは、果たしてこんなにも苦しいものだったかと霞の掛かった思考でぼんやり考えていた最中、酸素の供給を許すかの如くほんの僅か、重ねた唇に隙間が空いた。

「息を止めちゃ駄目だよ。ゆっくりと、鼻で空気を抜いて」
「ふ、ぁ……!」

言われるがまま、胸で一旦吸い込んだ空気を鼻から抜こうと試みたのだが、吐き出すと同時、甘い嬌声がどうしても伴ってしまう。それが恥ずかしくて仕方がなかった。
まるで衣を一枚ずつ剥ぎ取られていくように、痴態を晒して身悶える自身の肉体が恨めしい。

「ほら、ゆっくり息を吸って……。少しずつ吐いて。焦っちゃ駄目だよ、ボクに合わせて」

再びゆっくりと唇が重なり、柔く食むような動作を繰り返した後で微かに離される。
とにかく息苦しさから解放されたい一心で、美咲は京極に促されるまま、口付けのリズムに合わせて深呼吸をひたすらに繰り返した。

「ンン、っ……」

啄んでは去っていく甘い感触が、徐々に下腹へと貯まって疼きへと変わる。気が付けば美咲は両腕で京極の纏ったシャツに縋りついていなければ自重を支えきれないほどに脱力していた。
相手のキスに呼吸を合わせるとはすなわち、相手の愛撫を全面的に受け入れていくということだ。すると息苦しさの奥に今まで隠れていた悦楽のパルスが勢いを増し、たちまち全身へと波及する。
それはそれで美咲にとって、頭を悩ませる恥辱であった。
粘膜同士を重ねれば重ねるほど、心身が絆されていくのが分かる。

「ン、んんん……ッ」

そんな僅かな機微を、京極が見逃すはずもなかった。
美咲の呼吸が安定するのを見計らい、口腔内へと舌を潜り込ませてきたのだ。

「あ、は……っ、ふぁ……!」

ぬるりと滑り込んできたそれは、まず美咲の上顎を尖らせた舌先で何度も突いた。
瞬間、びくりと爪先が跳ねる。まさか、そんな場所が性感帯のひとつだったとは思いも寄らなかったのだ。
やがてその肉厚な感触は歯列をゆっくりとなぞり上げた後、実に自然な流れで縮こまったこちらの舌先をぬるりと絡めとった。
再び、息が詰まる。苦しい。だけど、気持ち良い。もどかしい。
様々な感情が溢れては嬌声に乗って零れ、次第に理性を失っていく。
決して強引な仕草ではなかった。だが、しかし。絡む舌先には有無を言わせぬ明確な意思が宿っているのだろう。こちらの正気ごと快楽の奈落へ引きずり込むような、執念に近い劣情が垣間見えた。

「も、やだ……」

繋いだ舌先が解けた合間、ほとんどぐずるような声音でそう零した美咲であったが、願いが聞き届けられることはない。
京極は口づけを緩めないどころか、くちゅりと淫猥な水音をたてながら再び上顎の粘膜部分を擽るように愛撫しながら、愉快気にその口端を歪めてみせた。
瞬間、爪先からこみ上げたのは羞恥を孕んだ悦楽だった。
口内で響き渡る水音が、鼓膜の奥をじくじくと溶かしていくような感覚に襲われ、思わず目尻に涙を浮かべる。
口腔内を掻き回されるたびに聞こえるそれはまるで、不本意な口付けに感じ入る自らの浅ましさを表しているかのようだった。
聞きたくない、耳を塞いでしまいたい。唇や舌先のみならず、耳朶にまで与えられる愛撫から逃れたくて仕方がない。
だが、京極はそれを許さない。繋ぎとめたまま、離さなかった。
美咲の恥辱を煽るように、響く水音はやがて鼓膜ではなく、頭の中で響き始める。
それは理性を溶かしつくそうとしているのか、遠慮というものを知らなかった。
拒めば拒むほど、染み入る羞恥と悦楽。肉体から力を徐々に奪われていく様はまるで、毒に犯されつつある小動物のようだった。

「ああ……っ、ァ……」

瞬間、がくんと膝が折れ、美咲は柔らかいカーペットの上へと頽れてしまう。どうやら脚の力が完全に抜けてしまったらしい。もはや自力では腰をあげることさえ出来ないまま、美咲は口づけの余韻に浸り続けていた。
未だに頭がふわふわする。アルコールが齎した酔いとはまた別種の浮遊感に包まれながら、そっと目を閉じ、腑抜けた身体に力が戻る時をじっと待つ。
――だが、しかし。

「えっ、ちょっと……!」

突如、美咲の身体が宙に浮いた。

「じゃあ、そろそろベッドに行こうか。大丈夫、ボクが連れていってあげるよ」

どうやら京極に抱き上げられていたらしい。反射的にその首元へと腕を巻き付けてしがみついたものの、ベッドに運ばれるなど冗談ではない。一体、なにを仕出かそうとしているのかと抗議の意味も込め、眼下に見下ろした男の顔を精一杯の虚勢を込めてキッと睨んだ。

「じょ、冗談じゃない……っ」
「そんなこと言ったって、美咲ちゃんもう立てないでしょ? かと言って女の子をずっと床に座らせておくなんてことボクには出来ないし……ね?」

立てなくなった女をベッドに連れ込む方が非道であると喚き散らしたかったのだが、残念ながら京極に先手を打たれてしまった。
美咲が改めて口を開くよりも早く、部屋の片隅に設置されたベッドへと辿り着いてしまったのだ。
たちまちシーツの上へと転がされた美咲の上に、すかさず京極が覆いかぶさる。
見上げた男の顔は、実に楽しげであり、満足げだった。
こちらが快楽に屈したことを見透かしているような煌めく双眸が気に食わない。なぜ彼はいつもこうなのだろう。いつだって混沌と共に現れ、いつだって心を掻き乱す――。

「次はどこにキスして欲しい? どこにだってしてあげるよ」
「っ、はァ……う……」

衣服越しに下腹をそっと擽られ、乱れ切った下肢がずくりと疼いた。
もう、どこだっていい。なんだってよかった。
どうせこの男は、こちらの望んだものなど一つも与えてはくれやしない。嫌だといえば纏わりつき、いらないともがけば溢れるほどに与えられてしまう。
言い淀んでいると、まずは頬に唇を軽く押し当てられた。
小さなリップ音をたてながらそれは徐々に下っていき、今度は首筋へと吸い付いていく。

「ン……ッ」

ぬるりとした感触は、舌だろうか。ぼんやりと天井を仰いだ次の瞬間、ぴりっとした痺れるような小さな痛みが肌を貫いたような気がした。
同時に、じゅっと何かを啜るような水音が耳に届く。もしや、痕を残しているのだろうか。
何度も押し当てられては離れていく不埒な愛撫は、もはやほとんど捕食に近い。このまま少しずつ齧られ、貪られ、やがて京極と同化していく――。そんな甘くも狂気的な妄想に浸りながら、美咲は疼き続ける腰を軽く捩り、全身に溜まりゆく悦楽を少しでも逃そうとシーツの波の中で蠢いた。

「……こわい?」

再び耳朶へと舌を絡めながら、掠れた声音で彼が問う。

「これ以上、気持ち良くなっちゃうのが怖い?」

乱される事に畏怖しているこちらの心境を察したのか、はたまた未知なる感覚に悶える姿を揶揄っているだけなのだろうか。
しかし、相手の真意を探る余裕などない。美咲はただ、投げかけられた問いにコクコクと何度も頷きながら、解放を求めて縋るような視線を向けることしか出来なかった。

「そっか。ごめんね、怖がらせちゃって……」

慰めるような口づけが、こめかみに何度も押し当てられる。
その感触に、身悶えするような熱い悦楽はない。そこにあったのは、まるで幼子でも慰めるかのような慈愛だけだった。
そんな優しい唇を受け止めているうち、徐々に胸の高まりが収まっていくのが分かる。

「でもね、美咲ちゃん。ボクは、これ以上のこともしたいんだよ。もっともっと、深い場所で君のこと感じたい」
「なっ……」

美咲に平静を取り戻させておいて、この男はこんなことが言いたかったのか。熱に魘されたままでいたのなら、このような睦言、聞き流せていたというのに――どこまでも狡い男だった。

「だからさ、今日みたいに少しずつ練習していこうよ。そうすればきっと怖くなくなるし、ボクたちはより分かり合えるようになると思うんだよね」

神出鬼没の疫病神である京極と気持ちを通じ合いたいなど願った試しは一度もない。一方的な思い込みはいい加減にしろと口を開きかけた美咲であったが、寸でのところでそれは京極の不埒な唇に遮られる事となる。

「んん……っ」
「ね、美咲ちゃん?」

妖しく弧を描いたその口端に、反論も抵抗も、すべてを飲み込まれてしまうのか――と。どこか諦めたような想いに苛まれながら、美咲は伸ばした掌で、京極の額を強く叩いたのであった。