その他

稲荷ゆず、ゆらの回想録

中村郷の藤吉郎 「ゆず、早くいらっしゃい! チンタラやってたら見つかるわよっ」 「待ってよ、ゆら。道がぬかるんでて歩きづらいよお!」大雨の降りしきる中、ぬかるんだ畑を横切る小さな影が二つ。 もはや人の手入れすら満足に行き届かない寂れた稲荷神社…

不知火灯香の回想録

桶狭間の戦い 「なにか、近づいてくる……」吐き掃除の手を止め、灯香(とうか)は背後をふと振り返る。 清々しくも静謐な時が流れる熱田神宮の境内には到底相容れぬ強大な力が近づく気配を感じ、思わず眉根を顰めてしまう。 ほどなくして、小気味よい蹄の音が…

萵苣の回想録

明智城襲撃 敗北に打ちひしがれている時間など、今の萵苣たちには残されていなかった。 落城は避けられぬと明智家の未来を光秀に託し、光安らが腹を斬ったのはつい先刻のこと。彼らを弔う暇さえ与えられぬまま、萵苣(ちしゃ)は光秀と共に瀬田長山を駆け下…

露乃瑠璃の回想録

今川の黒蜻蛉 桶狭間の戦いから幾年かが経過した頃、家康は妙な噂話を耳にした。 岡部元信が信長から取り返した主の首を臨済寺の池で洗い清めて以来、妙な出来事が起こっているらしい。 池の水が流れ込んだ田んぼでは血のように赤く染まった稲がたびたび実り…

蘭丞琉那の回想録

支配と自由 川のほとりに腰を下ろし、せせらぎの中へと足首を浸す。 癒しの音色と相俟って、肌を通り過ぎていくひんやりとした柔い水圧はいつだって心地が良かった。 戦に加わる事もなければ、男たちの為に夜伽を務めるわけでもない。 ただ、鑑賞される為だ…

狗巻狛の回想録

織田信秀の葬儀 織田家の当主であった信秀の葬儀がしめやかに執り行われている最中(さなか)、狛(はく)は平手政秀と共に寺の外を真っ青な顔を曝しながら忙しなく走り回っていた。「政秀様、いかがでしたか?」額に滲む汗を式服の袖で拭いながら狛が尋ねる…

玄稀の回想録

宣教師と共に 宣教師の船に乗り込み、早数日。 明朝には日本へ辿り着くだろうと聞かされてからは幾分か気分は和らいだものの、なにせ初めての船旅である。 一日の大半を横になって過ごさねばならないほどに内臓は疲弊し、もはや吐き出すものは何も無くなって…

センリの回想録

狙われた骸 闇夜に紛れ、静まり返った寺社内に忍び込む不審な影がひとつ横切った。 夜半の見回り最中、予期せぬ事象を目撃した住職は思わずはっと息を呑み、行燈を手にした右腕を目いっぱい伸ばしてその正体を見極めようと目を凝らす。 しかし、影は既に見当…

立葉の回想録

小谷城の戦い そこは紛れもない、地獄であった。 戸は破られ、飛び交う怒号と鋭い斬撃の反響が遮るものを失くした勢いのまま、立葉たちの元まで真っ直ぐと届く。 遂に総攻撃が始まり、城内へと織田軍が流れ込んできたのだ。「お市様、御仕度を……! 藤掛殿の…