お姫様扱いされる攻×健気で礼儀正しい従順な受①

透けるようなシナモンブラウンの長い髪は、恐らく砂糖菓子のように甘い香りがするのだろう――と、勝手な妄想に暮れながら、有村真琴はこの日もグラス磨きに勤しんでいた。
酒の注文が入らぬほど暇を持て余しているわけでは決してないのだが、営業時間終了間際の午前一時過ぎに差し掛かると、いつもこうだ。
まばらではあるが、客の姿は未だカウンター席に残っている。しかし、彼らの視線はとある一人の男へと熱心に注がれており、それ以外の人間たちは同じ店内にいながら疎外され、ないも同然の扱いを受けることとなってしまう。
だが、常連客達の視界と興味を独占し続けている彼、一条怜はというと、向けられた言葉の数々を聞いているのかいないのか、自身の手元へ視線を落としたまま、うんともすんとも答えない。
淡々とグラスを捌いては出来上がったカクテルを並べ、空瓶を回収し、謝辞すら述べずに差し出された代金やチップを受け取っている。
接客業としてはあるまじき態度であったが、それでも彼がここまで情熱的に求められる理由は、恐らく容姿のせいだろう。
首の後ろ辺りで一括りに束ねられた長髪は、気品ある高級馬の尾のように美しく、リキュールを注ぐ白い指先も所作を含めて実に可憐だ。
そしてなにより惹きつけられるのは、歪な部分などひとつも見当たらない完璧な造形で彩られたその顔立ちだった。
洗練された高い鼻梁に、切れ長の瞳。しかし、丸みを帯びた骨格のせいか顔の輪郭はひどく女性的で、遠目からでは性別の判断が難しい場合も多々あるらしく、いらぬ面倒に巻き込まれることも少なくないという。
本人からすると、毎夜のように繰り返されるこの光景も〝いらぬ面倒〟に区分されるのだろうか――と、真琴が思わず苦笑を零すと、俯いていたはずの彼の視線が、ふとこちらに向けられた。

「……っ」

胸を真っすぐと貫くような眼差しに、息を呑む。
店内に設置された照明の灯りを取り込んで、薄闇のなか煌めく双眸の美しさはもはや凶器に近かった。
なるほど、常連客達が彼を求めて熱心に語り掛けるはずだと改めて納得を覚えながら、真琴は向けられた怜の瞳に向かって言葉の代わりに微笑を以って返答する。
時刻は午前一時半、そろそろ店を閉める頃だ。
磨いたグラスを背面の棚へとひとつひとつ丁寧に並べながら、真琴はひそかにほくそ笑んだ。
なぜなら店内から客が姿を消した瞬間、ようやく彼が氷のような仮面を自ら剥ぎ取り、無防備な表情を見せてくれるからである。



「真琴くん、さっき笑ってたでしょう」

首元のネクタイを緩めながら、怜が不貞腐れたような声で問いただしてくる。

「笑えるほど変なことしてたかな、僕……」

客前では鋭く冷たい美貌を保ち続けていた彼であったが、いま真琴の眼前にて軽く唇を尖らせているその表情は、見違えるほどの愛嬌で溢れていた。
釣った魚には餌をやらない――といった表現が果たして正しいのかどうかは分からなかったが、一条怜という男はバーを訪れる客、それも自身に好意を寄せる人間に対しては酷く辛辣な姿勢を貫き続ける反面、従業員の前では油断した表情や気の抜けた笑顔などを見せてくれる機会がしばしばある。
特に真琴は怜と並んでカウンターに立つことが多い故、彼の素顔を目にする機会も割と多い。
そのたびに心を揺さぶられ、好意が徐々に膨らむ感覚に真琴が悩まされていると知ったら、彼は軽蔑するだろうか。そして、自分にも氷の視線を向けるようになるのだろうか。

「いや、毎日大変そうだなと改めて思っていただけですよ。お客様が相手とはいえ、あの熱量を受け止め続けるのはなかなかの重労働だと思います」

望まぬ好意や善意など、所詮は有難迷惑である。
以前に勤めていたホテルのバーラウンジにて様々な人間模様を目撃した経験のある真琴は、そういった一方的な愛情が投げつけられては砕ける場面を幾度となく目の当たりにしてきた。
時にはその重すぎる愛情が、受け止められぬまま腐敗して憎悪にすり替わる事も少なくない。
故に、真琴は気がかりだったのだ。いつか怜の態度に焦れた人間が修羅場を繰り広げるのではないのかと。

「もし、億劫になったらいつでも仰ってください。代わりに私がお客様の相手をさせて頂きますから」

言いながら微笑むと、怜は切れ長であるはずの瞳を大きく丸めながらしばらく黙り込んでいたが、

「……君は凄いね。誰に対しても裏表なく接することが出来るなんて」

僕にはとても真似できないから、と苦笑と共に零れた彼の本音に、真琴は少々、面食らう。
まさか怜が、自身の二面性を自覚していたとは思わなかった。
どういった意図で彼が裏と表を使い分けているのかはわからながったが、それをわざわざ尋ねるのも野暮だろう。

「開けっぴろげなだけですよ。使い分けるような裏と表がないんです、私にはね」

もちろん、それは建前だ。心の奥底では怜に憧憬の念を抱いていたが、好意を向ける人々を貫くあの冷めた視線を思い出すたびにそういった本音は更に深い場所へと呑み込まれていく――否、呑み込まざるを得なかった。

「それでは、本日もお疲れさまでした。明日また宜しくお願いします」

帰り支度を整え終わった真琴がコートに袖を通しつつ終業の挨拶を告げると、制服を丁寧に折り畳んでいた最中であったらしい怜の表情にふと寂し気な影が差す。
それを目の当たりにして、美しい顔立ちを持つ人間は、どんな感情を浮かべても様になるものだなと改めて思い知らされた。
蜻蛉玉の如く美しい瞳をふと横に逸らしただけでも他人の心を惑わせるような、例えようのない魔性の力を秘めている。
思わず手を伸ばしたくなるような危うさと、性別を越えて作用する奇妙な色香はある意味、毒と等しいのかもしれない。

「ああ、うん……。お疲れさま」

どこか気落ちしたような声音と共に浮かべられたその微笑は、名残惜しさだろうか。
などと勝手な自惚れを抱きながら真琴は軽く一礼をした後、後ろ髪を引かれる思いで更衣室を後にした。



真琴が長らく務めていたホテルを退職し、怜が店長を務めるダイニングバー、グランシャリオで働き始めたのは、僅か半年前の事である。
知人を介して紹介を受けた店であったのだが、まさか何らかの詐欺ではないかと疑いたくなるような破格の待遇を提示された上、魔性の美貌を持った雇い主に「是非、君の力を貸して欲しい」と微笑まれてしまっては、たとえその気がなくとも首を縦に振るしかなかった。
急いで再就職をする予定のなかった真琴は、本来であれば退職後しばらくはあてのない旅に出かけたり、自堕落な生活に溺れてみたりと気ままな日々を謳歌しようと目論んでいたのだ。
紹介された店、グランシャリオに足を運んだのも元々は辞退を申し入れる為であったのだが――まんまと怜に口説き落とされてしまい、現在に至っている。
あれだけ熱心に従業員の募集を仕掛けてきた男である、てっきり仕事が人生のすべてだと言わんばかりの情熱的な人間かと思っていたのだが、実際の接客態度はというと暖簾に腕押し、糠に釘、豆腐にかすがいといった調子で常連客達をあしらい続けているので、勤め始めてしばらくの間はやはり転職は間違いであったと後悔したが、慣れてみればどうという事もない、客に対して極端に愛想がないというだけで、経営者としては真っ当な人間であっだとすぐに評価を改めた。
もちろん、客前で酒を振る舞う立場でありながら礼すらろくに言わないという部分は社会人としてどうかと思うが、どうやら常連客達もそれを承知で店に通い続けている物好き揃いらしいので第三者である自分がとやかく口を挟むべきではないのだろう。
丁度いま、カウンターを挟んで真琴の対面にいる髭面の男も、そんな物好きの一人であった。

「我らが姫君は、まだお休み中か」

ウイスキーのグラスを傾ける姿があまりにも様になりすぎているこの男は、開店当時から店に通い続けているという常連客の一人だ。
自信に満ち溢れた表情と壮年期と称しても差し支えのない年齢の割にひどく若々しい見た目から察するに、夜遊びに慣れたやり手の実業家か何かなのだろう。

「怜さんは今、買い出しに行っています。まもなく戻ってくると思いますよ」

しかし、彼の冷めた対応には古参新参の区別すら存在しない。会話どころか、一瞥さえ与えられないまま店を後にする客の方が多いくらいだろう。
怜がどんな方針を立てているのかは知らないが、同じ接客業に携わる者としてそれは少々心苦しいと真琴が苦笑を浮かべていると、こちらの心情を知ってか知らずか、カウンター越しの男は余裕溢れる表情を浮かべて二杯目のウイスキーを要求した。

「彼はね、誰の手にも届かないからこそ惹きつけられるんだ」

うっとりとしたその口調は、酒ではなくこの場にはいない怜の美貌に酔いしれていた。

「一体、どんな人間なら彼の氷を溶かすことが出来るのか……。もしそれが自分だったら、どんなに良かっただろうって妄想に明け暮れながら、ここに来る連中は毎日みんな呑んだくれてるってワケ」

随分と熱の籠った、情緒的な言い回しである。
恐らくは、格好をつけているのではなく心の底から本気でそう思っているのだろう。
真琴はグラスを磨きながら、ふと昨日のやりとりを思い出す。
自分を笑っていただろうと軽く拗ねてみせたあの態度、そして惜別に似た見送りの視線――それは紛れもなく、常連客達が求めてやまない雪解けの瞬間だ。
同じ従業員、それも半年前から勤務し始めた自分が何の苦労もなくその時をたびたび拝ませてもらっていると知ったら、彼らは気が狂ってしまうのではないだろうか。
我ながら背筋の寒くなる仮説だと真琴が思わず眉を潜めた、その数拍後、

「おっと、お姫様の御帰還だ」

カウンター越しの男がふと弾んだ声をあげた。
その声音は落ち着いたままであったが、その中から堪え切れぬ歓喜が滲み出している。
グラスから顔を上げると、視線の先には食材の詰まった紙袋を抱えた怜の姿。

「怜さん、お帰りなさい。それ、受け取りますね」

予想に反した大荷物で帰ってきたなと真琴は軽く驚くと、カウンターを抜け出し、抱えたそれをこっちに手渡せと彼に向って両腕を広げた。

「……ああ、ごめんね。ありがとう」

唇の動きすら周囲の人間に悟らせたくないと言わんばかりの小さな声で礼を述べた彼の頑なさはさすがというか何というか、もはや確固たる意地すら感じて真琴は昨日と同様、思わず苦笑を零してしまう。
案の定、怜の訝し気な視線がこちらへと向けられたが、この場で長々と会話していては却って常連客達の視線を集めることになってしまうだろう。
笑ってしまった事への非礼はまた営業後に詫びればいいと真琴はそのまま怜に背を向けると、抱えた食材を冷蔵室へとしまい込むべく再びカウンターの奥へと踵を返したのであった。



「……どうやら僕には、君を笑わせる才能があるみたいだね」

営業後、賄い料理のミートパスタをフォークでくるくると巻き上げながら、カウンター席に腰を下ろした怜はどこか困惑したような声音で自嘲の言葉をふと零す。

「真琴君が楽しんで働けているのならそれでいいけど……」

隣席で同じくパスタを口に運びつつ、真琴は仮面をすっかり脱ぎ去った美しい男の戸惑う表情を横目で窺った。

「もしかして、怒らせてしまいましたか?」

怜に怒りの感情がないと知りながら、真琴はあえて機嫌を尋ねてみる。
それは、もっと彼の思惑や本質を自身の言葉で語って欲しいという身勝手な要求から生まれた意地の悪い駆け引きだった。

「ううん、怒ってないよ。ただ……」
「ただ?」
「君の顔、綺麗だろう。だから、目の前で笑われると、なんだかくすぐったくなるんだ」

予想外の返答に、面食らう。

「私の顔、ですか?」
「うん、君の顔」

言いながら怜は伸ばした指先で唖然とした表情を浮かべている真琴の目元や鼻梁を、まるでその造形を確かめるような手つきで丁寧に辿り始めた。

「特に好きなのは、その優しそうな目かな」

しなやかな人差し指の背が、涙袋の膨らみを確かめるように這う。

「それから凄く綺麗な形で笑ってくれる唇も」

今度は親指の腹が、擽るように口角を撫で上げる。

「あ、あの……」

そしてこちらを真っすぐと見据える彼の視線は、いやに熱っぽく艶めかしい。
途端、こみ上げてきたのは羞恥を大幅に上回る歓喜だった。
同性愛など嗜んだ経験はないし、どちらかと言えば理解もあまりなかった方ではあったが――幾多の常連客たちには決して振りまくことのなかった笑顔を独占出来ているという優越感が劣情を孕んでいたことを、ようやく真琴は自覚する。
自分は、いつか彼にとっての特別になりたいと心から願っていたのだ、と。
抵抗を示さず、それどころかうっとりと悦に浸る真琴に気をよくしたのか、怜の指先は徐々に大胆さを増していく。下唇を辿る手つきなど、もはや愛撫と称しても差し支えはなかった。
つい今しがたまでパスタを啜っていた場所を触らせるのは申し訳ないと思う反面、このまま甘く弄ばれていたいというはしたない欲望が膨れ上がり、結果として真琴は何も言い出せないまま、ただ触れられているその唇を微かに戦慄かせる事しか出来ない。

「ねえ、真琴君」

いつの間にか、こちらへ伸し掛かるような体勢で顔を寄せてきた怜が、酷く妖艶な笑顔を浮かべながら熱っぽい吐息と共に囁きかけてくる。

「僕より、君の方がお姫様に相応しいと思わない?」

途端、顎を掬われた。
更に間近へと迫る淫靡な双眸。しかし、投げかけられた言葉の意味を計りかね、真琴は思わず我に返る。

「お姫様って……」

私がですか、と。
尋ね返そうと開いた唇は、疑問を呈する暇なく塞がれてしまった。

「……ッ、ん!」

唐突に贈られた口づけは、彼の美しい顔立ちと先ほどまでの繊細な指使いとは打って変わって猛々しく強引なものであった。
啄むような仕草を無遠慮に何度か繰り返した後、一方的に舌が潜り込んでくる。
ミートソースの風味を微かに感じながらも淫らな雰囲気が削がれないその舌技を繰り出すこの男には、確かに〝お姫様〟などという呼称は相応しくないだろう。
――だが、少し待って欲しい。
常連客たちは皆、彼を冷たくも可憐なお姫様と今まで持て囃していたのだ。 
いつか怜のことをその腕に抱き、組み敷いてやろうと目論む連中だって少なくなかったはずである。
しかし、今の彼はまるで――。

「あ、待ってくださいっ、怜さん……!」

舌を絡めとりながら、実に華麗な手さばきでこちらのネクタイを解いてしまった怜の姿は、獰猛な肉食獣のようだった。

「だめ、待ってあげない」

君だってまんざらでもなかっただろうと耳元で指摘され、真琴は遂に絶句した。
見透かされていた、はしたない劣情を。
何か言い訳をした方が良いだろうか、それとも素直に謝罪するべきか。むしろ、自分の邪な気持ちを認めた上でこんな事よしてくれと強がるべきか……。

「好きだよ、真琴君」

耳朶に吹き込まれる、甘い告白。

「このまま僕のものになって欲しいな」

こちらがそれを断れないと知っていて、次々と極上の口説き文句を繰り出してくる彼はたしかに、お姫様などではなかったのかもしれない。
グリム童話に登場する狼は、赤ずきんを食らう為、実に周到な準備を整えた。まるで善人のような顔をして、寄り道を進め、先回りをして、まんまと彼女を食べてしまったのだ。
今、目の前で甘い牙を剥く怜はまさにその狼だ。そして愚かにも食べられてしまう哀れな赤ずきんは――認めたくないが、真琴自身である。
ここで誰かが通りかかってくれたのなら、童話のとおり狼は退治されるのかもしれなかったが、あいにくと店内には客の姿はなく、それどころか他の従業員たちも既に帰宅した後だった。
かと言って、自力で彼の腕の中から逃れる自信はない。なぜなら真琴の心は既に陥落済みなのだ。
出来ることと言えば、返答をねだるように何度も繰り返される告白に頷きながら、彼の背中にしがみついて服従を示すこと、ただそれだけである。



真琴はカウンターへと突っ伏すような姿勢で組み敷かれ、与えられる数々の愛撫に震えていた。
肩からずれ落ち、手首に引っかかっているだけといった体たらくのワイシャツはもはや、衣類としての役割を果たしてなどいなかった。
そして獰猛な狼こと本性をさらけ出した一条怜はというと、後ろから真琴の身体を抱きすくめながら相変わらず蕩けるような愛の言葉を囁きつつ、繊細な美貌に似合わぬ直接的な愛撫を容赦なく繰り出し、刻み続けている。
露わになった胸筋を這い回る掌の感触が堪らなかった。
時折、突起を爪の先が掠めるのはわざとだろうか。そのたびに真琴は肌を震わせ、くぐもった声を零してしまう。
テーブルについた自身の腕へと唇を押し当て、どうにか情けない嬌声を堪えようとするが、その仕草が気に入らないのか、声を押し殺すたびに怜が尖り始めた突起をいたずらに突くので真琴はぐずるように首を緩く振り、どうか止めてくれと懇願を示した。

「っ、ンン……。嫌です、それ……」

そんな場所に触れられて、腰を捩らせてしまうのが情けなくて仕方がない。
しかし、嘆願はあえなく却下となる。

「どうして? 気持ちいいんでしょう」
「あ……ッ」

スラックスの中へと潜り込んできた指先が、下着越しに真琴の熱を柔く包んだ。

「気持ちいいから、恥ずかしい?」
「ん、ン……っ」
「でも、セックスってそんなものだよ。恥ずかしいのと、気持ちいいの繰り返し」

納得出来るような、出来ないような。奇妙な理屈を捏ねながら、怜の悪戯な指先はやがて下着の中にまで潜り込み、認めたくはない興奮の兆しを見せ始めた真琴自身を躊躇なく握りこんでしまった。
根元から先端へ。高ぶりを確かめるような手つきでゆっくりと扱かれ、居た堪れない。

「ッ、は……」

それと、衣服越しに感じる怜の感触。
丁度、臀部のあたりに押し付けられたそれは紛れもない、興奮の兆しだった。

「怜、さん……っ」

それをどうするつもりか、などとは聞けるはずもなかった。
次から次へと押し寄せる羞恥と、それに勝るとも劣らない悦楽。
まさに彼の言う通り、二つの波が代わるがわる真琴の理性を翻弄していく。

「だめ、です……ッ、怜さんっ」
「駄目じゃないよ」

ぬるり、と先走りを絡めた指先が、絶頂を待ちわびてはくはくと小さな開閉を繰り返す尿道の先端を抉るような仕草で攻め立てる。
「全部、ちゃんと見せて」
彼はあの美しい切れ長な瞳で、こちらの痴態を余すことなく眺めようというのだろうか。

「あ、あ……ッ、ン!」

怜の言葉に促されるようにして真琴は膝を震わせると、堪え切れずそのまま白濁を吐き出した。
ふと落とした視線に飛び込んでくる、白くて長い男の指先。そこに絡む自身の精液がひどく穢らわしいものに見えて、思わず涙ぐんでしまう。
だが、背後から自分を抱きすくめている男はというと、うっとりと蕩けた溜息を零し、あろうことか未だ残滓を零し続けている真琴の先端から改めて白濁を掬い、その指先を唇に含んでみせたのだ。

「もっと見せて欲しいな、君のそういう顔」

気持ちよくて、でも恥ずかしくて仕方がないその表情が堪らないと謳うように紡ぐこの男は、獲物を嬲る狼だと真琴は改めて思い知らされる。

「うァ、っ……。待って、ください……ッ」

決して乱暴ではなかったものの、有無を言わせぬ強引な怜の愛撫はとうとう、後ろの窄まりにまで及んだ。
彼は賄いのパスタを作った際に出しておいたオリーブオイルの瓶を傾けると、中身を手に取り、断りもなく人差し指をさしこんでくる。
様々な滑りを借りて潜り込んだそれは、まず内壁の具合を確かめるかの如くぐるりと大きく円を描くと、少しずつ深く沈んでいった。

「はッ、く……」

痛みはない。しかし、違和感と羞恥でどうにかなりそうだった。
「息を止めないで。ほら、深呼吸しよう」
背後から伸ばされた彼の指先が、真琴の唇を擽るように這う。

「吐くことに意識を置くんだ」
「は、ッ……。あ、は……っ」
「そう、いい子だね」

鼓膜へと吹き込まれる声が甘さを増して掠れるにつれ、あらぬ場所へと差し込まれた彼の人差し指、そしていつの間にか新たに潜り込んでいたらしい中指は、より大胆に蠢いて内壁を無遠慮に蹂躙した。
何せ男性経験どころか、腸壁をじっくりと探られる経験が皆無であった真琴はこの未知なる違和感をどう受け止めて良いのか分からない。
とにかく怜に促されるまま、深呼吸を繰り返し、下肢に不要な力を込めてしまわぬよう努め、奇妙な感覚を和らげる事だけにひたすら専念する。

「ァ、……っ、はッ……。はァ」
「ごめんね、真琴君。本当はここまでするつもりはなかったんだけど……」

自身の非礼を詫びつつも、情欲を隠し切れない彼の愛撫はやはりどこか強引で獰猛だ。

「我慢できなくなっちゃった」

苦笑と共にそう零しながら、彼はしなる真琴の項を舌で辿る。
それと同時に、訪れた衝撃。

「あァ、ッ……!」

突如、内壁を掻き分けるようにして潜り込んできた新たなる熱。
強く抱きすくめられると同時に与えられた律動により、それが怜の猛る欲望であることを知った。
客前で見せている氷の仮面、そして営業終了後に覗かせる穏やかな微笑――そのどちらからも想像がつけられぬほど雄々しく攻め立てる腰遣いが、酷く艶めかしい。
圧迫感に喘ぎながら、真琴は訳も分からずただ首を横に振る。

「怜さん、っ……」
「やめて欲しい?」

止めるつもりなど更々ないくせに、猫なで声でわざわざ尋ねてくるこの男はもしかすると、とんでもない曲者なのではなかろうか。
しかし、その事実に今更気づいたところでもう遅い。

「あ……ッ、ああっ」

縋るようにカウンターテーブルの端を掴んでいた真琴の手を、縫い留めるようにして怜の掌が重ねられる。
相手を乱暴に扱うことなく、しかし――絶対に逃がしはしないという強い束縛の意志を感じるその掌はいやに熱っぽい。

「真琴君、このまま……」

いいでしょ、と尋ねられはしたものの、もはや返答を出来るような状況ではなかった。
気持ちが良いのか、悪いのかすら判別もつかぬまま揺さぶられ続けた真琴の意識は、怜の絶頂を腸壁で受け止めたと同時にぷつりと途切れ、唐突に暗転してしまったのである。



「僕がお姫様だなんて、笑っちゃうよね。」

互いの体液やその他諸々で汚してしまったカウンター付近を丁寧にモップ掛けしながら、怜はどこか楽し気に弾んだ口調で一方的に語り始めた。

「この際、僕は真琴君の事が好きになっちゃったから皆さんのお相手は出来ませんって宣言しようかとも思ったけど……。それはそれで面倒が起こりそうだったから、やっぱり無視するのが一番かなと思ってさ」
「……お、恐ろしいことを言わないでください」

要するに、自身の性癖を知らずに近づいてくる輩を遠ざける為に彼は氷の仮面を客前で装着していたとの事である。
男色を見透かされるのは構わなかったが、女役だと勝手に思い込まれるのは非常に迷惑だと嘯く怜の後姿を見守りながら、真琴は隅のボックス席にてその体を横たえ、未だ全身を苛む倦怠感に耐えていた。
どうやら気を失っている間に怜が身体を清めてくれたらしいのだが、下腹に残る疼痛と違和感は拭えないまま、情事の痕跡は生々しく残り続けている。

「さて、と。後は君を家まで送り届けるだけだね」

どうやら後始末を追えたらしい怜が振り返る。
未だソファに身をぐったりと沈めたまま動けずにいるこちらに歩み寄り、そのまま床に膝をついて投げ出された真琴の右手を取ると、先ほどの獰猛な狼じみた情事の時とは打って変わって貴公子の如き恭しさで指先へそっと唇を寄せた。

「ごめんね、無理させちゃって。立てそう?」
「いえ、まだ……」

もう少し休ませて欲しいと言いかけたその時である。

「れ、怜さんっ?」

あろうことか目の前の男は、その中性的かつ繊細な美貌とは似つかわしくない怪力で有無を言わさず真琴の身体を軽々と横抱きに持ち上げてみせたのだ。

「お、下ろしてください!」

手足を振って抵抗できぬ代わりに言葉で喚いてはみたものの、効果はない。

「遠慮することないよ、真琴君」

決して遠慮をしているわけではなかったのだが、聞き分けの悪いこの貴公子――もとい、肉食の獣は実に幸せそうな微笑を浮かべて優しくも残酷にこう言い放った。

「……このまま、うちに連れて帰りたいな。朝まで一緒にいてくれない?」

時刻は午前二時半を回ったばかりである。夜明けはまだ遠い。
隠し続けた煩悩交じりの本性を曝け出したまま元に戻らない怜に半ば呆れながらも真琴は困惑したように視線をしばらく彷徨わせ、熟考の後、これも惚れた弱みだろうかと遂に観念する。

「は、はい……」

貴方がそれでいいのなら、と。
今にも消え入りそうな声で送り狼の申し出に頷くと、赤く染まった頬へ唇がすかさず寄せられた。

「仰せのままに、お姫様」

囁く声音は甘く掠れ、冷めやらぬ情欲にまみれている。
果たして無事に朝を迎えられるのだろうかと不安に思いつつも彼の腕の中から逃れることが出来なかった真琴はというと、その身を摺り寄せるように怜の肩へと縋りつき、未知なる展開への緊張を誤魔化すように強く目を閉じたのであった。