幽霊×強気な女の子

「そろそろ一線越えてもイイだろ?」

花弁のように愛らしい唇から放たれた唐突な要求に、俺は激しい眩暈を覚える。
神聖なる教会の長椅子の上、あろうことか異性であるこちらの身体を無遠慮に組み敷き、腰の上に乗り上げながら男女の関係を強いる彼女、マイは常と変わらぬ悪戯な笑みを浮かべて自身の衣服を急いた手つきで寛げ始めた。
知り合ったのはいつの頃だったか、もはや正確な時期を思い出す事は出来なかったが、年齢の割に幼く突飛な性格に割と慣れてしまう程度には長く付き合っている。
この世に実態を持たない〝幽霊〟の身でありながら、神父を装い戯れで様々な人間模様を眺めてきたが、神の前で懺悔をするでもなく、迷える子羊らしく悩みを吐露するわけでもなく、どうしてだか神父を騙る俺自身――もちろん、彼女はこちらの「本当の正体」を知る由もなかったが――に興味を持って足繁く教会へと通うマイに対し、実のところ俺の方もそれなりの好意は抱いていたのだ。
溌溂とした彼女には、眩しいほどの生気が宿っている。
自分がとうの昔に亡くした命を爛々と輝かせるその姿は実に美しく、教会内の神々を拝むよりよっぽど心を満たしてくれると個人的には思っているのだが、神職者を名乗る手前、彼女にその本心を打ち明けた事はない。

「……で。やるの、やらないの。どっち?」

さっさと衣服を脱ぎ捨てておきながら「やらない」という選択肢を果たして選ばせるつもりがあるのかどうか甚だ疑問ではあったものの、マイ自身がそれを望むのであれば断る理由もないだろう。
だが、しかし――。後々この行為が、互いの後悔に繋がったりはしないだろうか。

「……落ち着け、まったく」

短い言葉で往なしながら、俺は彼女の髪を宥めるように撫でてやる。
すると、幼子に施すような手つきが気に入らなかったの、形良く整えられたマイの眉が不機嫌そうに寄せられたものの、こちらにも身体を重ねる意思があるという事を悟ったらしく、脱衣の続きを促すように細い腕を俺の首へとそっと回した。

「女の方からセックスしようって誘われて落ち着いていられるアンタの方がおかしいんだよ」

耳元で愚痴るように零されたその声音は、懲りずにからかいたくなってしまうほど酷く幼く子供っぽい。
が、彼女はれっきとした成人である。
とはいえ、つい数か月前に二十歳の誕生日を迎えたという彼女の細い体つきには、未だ少女の名残が色濃く留まり続けており、果たして自分のような年齢の男と性交に及んで良いものかと躊躇わずにはいられない。
現世で裁かれることのない自由な身の上といえど、やはり未成年に手を出すのは気が引けるし、ばつが悪いのだ。そんなこちらの思惑を知ったらきっと、彼女は意気地がないと呆れるだろうけれども。

「……分かったから、騒がないでくれ」

夜中に教会を訪れる物好きは少ないとはいえ、神聖なる場所から夜な夜な男女の言い争う声が聞こえるなどと噂を立てられてはこちらとしても困るのだ。
宥めるように彼女の背を抱き返しながら、さてどうしたものかと思案する。
生憎と俺は、避妊具を持っていなかった。生命を新たに誕生させる機能が失われてしまったのだから今さら責任問題を気にする必要もなかったのだが、彼女はこちらが黄泉からやってきた魑魅魍魎である事を知らない。
しかし、子を孕む可能性が皆無であったとしても、やはり避妊を怠るようなだらしのない男だと見下げられるのは癪な気もする。なにより、彼女に不快感を与えたくなかった。
考えた結果、俺は「避妊具を携帯していない」と正直に白状する羽目となってしまったのだが、返ってきた答えはというと――。

「そんなこと、気にすんなって!」

無邪気な笑顔を向けられ、思わず面食らう。
こんなにも無垢な表情を持つ彼女を穢してしまうのか、俺は。
途端、胸にこみ上げてきたのは後ろめたさと、それに勝るとも劣らない幸福感だった。

「……ン、っ」

どちらからともなく重ねられた唇の感触に、思わず喉が鳴る。
すかさず差し込まれた舌先と共に流れ込んできた彼女の想いが、あまりにも鮮烈で、同時に喜ばしくて、彼女の背を抱く腕により一層の力をいつの間にか込めてしまっていた。
ここから、どうする。どうすればいい。
とりあえず彼女の服をすべて脱がせてやるべきか、いや、こんな場所で全裸を強いるなどあまりにも思いやりがないのではないか――。
次々と生まれては、うやむやのまま消えていく葛藤たち。
理性を置き去りにしたまま、互いの劣情に惹かれ合うようにして口付けばかりが深くなっていく。

「っ、は……」

息継ぎの合間、ほんの僅か唇を離して彼女の表情を窺ってみる。
そこに、あどけなさはもはや微塵も残ってはいなかった。
目もあやに色づいたその表情は、普段のそれとは大きく違って酷く艶やかで煽情的だった。
上気した赤い頬と、涙に濡れた丸い瞳。そして、口付けの再開を待ち望んでいる薄く開かれた魅惑の唇。
彼女は、こんなにも美しく誘惑的な女だったのか。
その危うさは少々、不安を覚えるほどであったが――正直、そんな彼女とこれから交われるという事実が嬉しくて堪らなかった。
散々と唇を互いに貪り合った後、俺は吸い寄せられるようにして今度は白い首筋へと顔を埋めると、目の前のなめらかな曲線を辿るように舌を滑らせ、上目に反応を窺ってみる。

「ン、ふふ……」

眉根こそ切なげに歪められていたものの、その口元はどこか可笑しそうに弧を描いて笑みを滲ませていた。
「なに笑ってるんだ」
まさか笑われているとは思いもよらず、つい不機嫌そうな声で尋ねてしまったが、彼女は微笑を浮かべたまま悪戯っぽく肩を軽く竦めるだけで特に理由を語ろうとはしなかった。

「いいから、続きしろよ」

ふいに伸ばされた彼女の掌が、祭服の上から俺の下肢を無遠慮に這い回る。そして今は鳴りを潜めているそれを探り当てると、やわやわと、まるで子供の手遊びかのような無邪気な手つきで弄び始めたので思わず息を詰めた。
衣服の下に隠した欲望の形を確かめるように、指先で輪郭を辿りながら根元から先端へ、快楽を促していく。

「……っ」

徐々にその頭を擡げ始める、はしたない自身。
負けじとこちらも彼女の豊満な胸元へ指を沈めてみたのだが、あまりの柔らかさに却って劣情を煽られ、余計に取り乱す事となってしまった。

「マイ、っ……」

止めて欲しいのか、続けて欲しいのか。
縋るような声音で思わず彼女の名を呼び、唇を求める。

「意外と可愛いトコあるんだね、アンタってば」

揶揄するような口調とは裏腹に、彼女から再度贈られた口づけは砂糖菓子のように甘く、優しかった。
そうして何度も舌を絡め、口腔内を互いに蹂躙し合いながら抱き寄せて、まさぐり、掻き立てる。
気付けば彼女の下着も、こちらの祭服も、かろうじてその身に纏わりついているだけでもはや衣類としての役目はほとんど果たしてなどいなかった。
彼女の指先がすっかりと勃ち上がった欲望の先端を抉れば、こちらもしとどに濡れ始めた女の肉芽を深くなぞる。
こちらの肉体を弄ぶことに夢中らしい彼女は情婦のような媚びた嬌声を漏らすことはなかったが、差し入れた指先が徐々に愛液に浸るたび、ああ、悦楽を与えてやれているのだと歓喜が押し寄せ、より愛しさが増した。
だが、一方でこれはあまりにも不毛な行為ではないかと悲しくなる瞬間もある。
何故なら俺は、実体を持たぬ死者――所謂、幽霊だ。
いくら彼女と交わったところで、何かが生まれるわけでもない。
そして、永遠の愛というものを誓う事さえ出来ない身の上である。
せめて、子を宿してやれたならこの侘しさは薄らいだのだろうか。
彼女と今、互いの身体を求め合っているという充実感と、今後どれだけ情交を繰り返したところで結局は本当の意味で交わり合うことなど出来はしないというやるせなさが、複雑に混じり合ってどろどろと心に流れ込んでくる感触がとてつもなく不愉快だった。

「ねえ、アキラ」

熱を帯びた声が、吐息交じりに切なく俺の名を呼ぶ。

「……もういいから」

来なよ、と耳元で囁かれ、失ったはずの血流が沸騰するような感覚に襲われた。
だが、誘われるがまま己を押し込んで傷つける事だけはするまいとせがむ彼女を一旦なだめ、より慎重な手つきで愛液に満たされた肉芽の内を探るように掻き回しながらそこの具合を確かめる。

「ッ、ばか……! イイって言ってるのに……っ」

俺の首にしがみつきながら、嬌声交じりに彼女はぐずった。
本当に良いのだろうか。無理はさせたくない、それに――この行為が不毛であると悟られたくない。
このままお互い、指先や唇で上辺だけの愛撫を施し合うだけで済ませておいた方が傷つかずに済むのではないか。

「なあ、アキラってば……!」

ねだられる度、怖気づく。

「こんな時くらい、言うこと聞けよっ」

続きを催促するようにマイは僅かに太腿を浮かせると、抜き去った指の代わりに怒張した俺自身を己の性器にあてがい、拗ねたように唇を尖らせる。
そして、彼女の腰が深く沈んだ。

「……ッ、く……!」

生暖かい粘膜に熱を包まれたその瞬間、心地よさも、うしろめたさも、喜びも切なさもすべてが混ざり合い全身へと溶けていくような錯覚に襲われた。

「待ってくれ、マイ……!」

このまま律動など刻まれては、自分を見失ってしまうかもしれない。
根拠のない焦燥に駆られ、情けなくも俺は彼女の劣情を制止しようと試みたのだが、一度火がついてしまった若い肉体を宥めるなど、到底無理な話であった。

「待つわけ、ないだろ……っ、ンンッ、今までどんだけ待ったと思ってんの」

ゆるゆると、自らの下肢をくねらせながら彼女は笑う。

「ずっとこうしたかったんだ、アンタと……。ずっとずっと、触りたいって思ってた」

淫らな腰遣いとは裏腹に、うっとりと漏らした彼女の表情は幸福に溶けていた。
ずっとこうしたかった――。
それは、こっちの台詞だと思わず胸中で照れ隠しに悪態を吐く。
更に言うならば、互いに求め合い惹かれ合っていたというこの現実が、なにより嬉しく、なにより愛しい。
形になど残らないはずの愛情を全身で感じながら、俺はいつしか捩れる彼女の腰を掴んで自らもはしたなく欲望を最奥目掛けて叩きつけていた。
普段はどこか子供っぽい思考と、乱暴な言葉遣いでいつもこちらを翻弄するどうしようもないじゃじゃ馬であるくせに、潜り込んだ彼女の中はまるで母の胎内のように温かく、心地よい。

「は、っ……、ン……」

堪えようとしても零れてしまう嬌声が情けなくて仕方がない。
だが、俺が呼吸を乱すたび、そして快楽に呻くたび、どうしてだか彼女はその頬を寄せ、まるで猫のように擦り寄って来る。
そして、口元を幸せそうに綻ばせるのだ。

「あァ、っ」
「く、そ……ッ、マイ……!」

俺が腰を突き上げると、彼女の腰が深く沈む。
子孫を残すことに執着をした動物の交尾のように、ただひたすら本能のままに律動を刻み続け、貪り合い、やがて頂へと昇りつめていく。

「あ、は……ッ、ハぁ……」

達する瞬間、今にも感極まったような嬌声を零したのは俺か、それとも彼女か――。

「ン、あっ……」

白い太腿を伝い落ちるは、己の精液。
結局、避妊具もなしにその中で果てるなどという無神経で身勝手な事をしてしまったなと罪悪感に苛まれながらもその非をすぐに詫びることが出来なかったのは、この行為が互いにとっての最善であると自惚れていたからだ。



あれから幾度となく交わり、熱を吐き出し続けた俺たちは互いに寄り添ったまま、長椅子の上から動けなくなっていた。
彼女は俺の膝を枕代わりにその身を横たえ、無防備に眠り続けている。
このまま、寝顔を眺めていたい。そして、恐らく無茶をさせてしまった身体を労り、甘やかしたかった。
しかし、それは所詮叶わぬ夢である。
外壁にはめ込まれたステンドグラスが、白み始めた空の光を受けて、眩しく輝きだす。
この世に実態を持たぬ死人は、朝を迎えることが出来ないのだ。

「……幸せな夜をありがとう」

眠りの中にいる彼女を起こさぬよう、そっと長椅子から立ち上がると、別れの挨拶がわりに閉じられた瞼へと唇を落とし、名残惜しさをどうにか振り払いながら俺は己の身体を再び黄泉へと溶かしていく。
彼女は今夜も、教会を訪れるのだろうか。そしてまた、その頬に、唇に、触れることを赦してくれるだろうか。
とっくの昔に止まってしまったはずの鼓動が、再び高鳴るような感覚に戸惑いながら、俺は実体を失った霊魂を朝の街に彷徨わせながらまだ見ぬ夜を待ちわびたのであった。