片思い後輩×ダウナー系先輩

身体だけの関係だときっぱり宣言したにも関わらず、眼前の男は毎度懲りず、律義にも情事を控えめなキスから始める。
最初は、まるで中学生が交わすような、ただ粘膜を重ね合わせるだけの軽い接触だ。恐らく彼――葵はこの簡素で幼稚な口付けを仕掛けることによって、こちらの気分を計っているのだろう。この程度の触れ合いを拒絶するようであれば今日は脈無し、受け入れるようであればその先に進める、と。
その慎重さが、気遣いが、透の嫌悪感を大きく煽る行為だとも知らないまま、今日も彼はセックスフレンドらしかぬ仕草と態度でおずおずと情事に縺れ込んだ。
帰り際、その耳元で「母親がしばらく留守だから」と囁いた時には確かに宿っていた情欲の焔が、いざ二人きりになったその瞬間、切実な「なにか」を秘めた感情とすり替わるのも毎度のことである。
それは恐らく、恋慕だろう。心の底から透のことが愛しくて仕方がないという煩わしい叫びだった。

「……っ、ン」

重ね合わせた唇の隙間から、葵の熱っぽい吐息とくぐもった声がふいに零れる。こちらもいつもと同じ、口付けが深くなる合図であった。
啄むような動きを繰り返しながら徐々に大きく発現していく葵の好意は、あまりにも苦く、あまりにも不味い。
滴る唾液と共にそれを飲み下すたび、露骨に眉を顰めてしまう。
好きだと言葉で囁かれることが嫌だった。が、しかし――語らずとも饒舌な視線や仕草で愛おしさを表現されることの方が、透にとっては非常に耐えがたいものである。
取り繕える言葉と違い、態度というものは実に正直だ。故に、目を逸らしがたい現実となって襲い掛かってくるのが非常に恐ろしい。
好意も、嫌悪も、同情も、無関心も――すべてが透けて見えるようで、目の当たりにするのが怖かったのだ。
誰にも打ち明ける事の出来ない、深層に隠した古傷がずくりと疼き、痛みを走らせる。記憶にこびりついた忘れがたい過去がまた、蘇りかけて耐え難い吐き気まで喉の奥からせり上がって来た。

「先輩、体調悪いんですか」

与えられる口付けに没頭するどころか、青い顔を思わず晒してしまった透の様子に彼が気付いたらしい。
薄く瞼を開いてみると、不安げに揺れる双眸とかち合う。
瞬間、やはり見なければ良かったと後悔した。恐らく第三者が目の当たりにしたとしても察する事が出来るほど、その瞳に純粋な情念を湛えていたからだ。

「……別に。お前のやり方がまどろっこしくてウンザリしてただけ」

ふいと顔を逸らしながら悪態をつけば、覆い被さった身体からあからさまな落胆が匂い立つ。
あくまで性欲さえ満たされれば良いと身体の関係を許した透と、それでも心の繋がりをどこかで求め続ける葵との間に生じた感情の剥離がもどかしかった。

「ねえ、俺たちはセックスする為にここに来たんだろ。キスしたり、抱き合ったり、そんな生温い前置きなんていらないから」

互いの吐息が混じり合うほどの至近距離で冷たく突き放すと、こちらに向けられていた無垢な双眸が哀しみを湛えて大きく揺れる。
その一方的に傷ついた表情も、妙に癪に障るのだ。心を痛めているのはお前ではない、自分なのだ――と。
決して口には出来ない葛藤だった。ゆえに彼は、こちらの抱える心的外傷を知る由もない。だが、それでも。何も知らずに愛だの恋だのという甘酸っぱい妄想に溺れ、純情を押し付けようとするこの男のことがどうにも気に食わなかったのだ。
好意を伝えれば、答えが返って来るに違いないという驕り。そして、相手から傷つけられることはないだろうという根拠のない憶測と無防備さ。すべてが恨めしく、すべてが憎らしい。
なのにどうして葵はまだ、自分の元を離れていかないのだろう。

「……ごめん、なさい」

永遠にも続くかと思われた重い沈黙の後、彼の口から絞り出されたのは今にも消え入りそうなほどに掠れた謝罪の言葉だった。
伏せられた睫毛は微かに震え、突きつけられた拒絶の鋭さに言葉を詰まらせている様子である。
――そうだ、それでいい。自らの想いを無情に砕かれる痛みを、捻じ曲げられる絶望を、お前も味わうべきだ。そして自分のことを忘れ、もう二度と踏み入るような真似が出来なくなればいい。
震えていた睫毛がふと持ち上げられ、再び傷心を湛えた眼差しが透へと向けられる。まるで飼い主の顔色を窺う臆病な子犬のような目つきだった。
だが、しかし。そのしおらしい態度とは裏腹に、彼の右手は無遠慮に透の下肢を寛げ、その指先で未だ萎れたままでいるこちらの性器を握り込む。
瞬間、反射的に肩がぎくりと跳ねてしまった。
明らかな劣情を含んだその手つきは、浮かべられた悲痛な表情に似合わずあまりにも熱っぽく、あまりにも直情的だ。

「けど、先輩には気持ち良くなって欲しいから」

ゆるゆると扱かれ、撫でられるうち、彼の掌の中で自身の欲望がどくりと大きく脈打つのが分かる。
ああ、煩わしい。痛みならばいくらでも耐えてみせるというのに、どうあがいても悦楽を拾ってしまう場所へと与えられる不器用な愛撫はどうにも透の理性を揺るがせる。
ただ鬱憤を吐き出すだけのそれならば、単なる性欲処理であると言い訳も出来ただろう。だが、少なくとも葵にはそのつもりがないのだ。何度言い聞かせても、何度交わっても、彼は肉体だけの関係というものを理解しようとしない。
いつかこちらが絆される時が来るのを気長に待つつもりなのだろうか。それはあまりに途方もない、夢物語だというのに。

「俺は、お前に気持ち良くして欲しいなんて思ってない」

自身に絡む手を振り払うと同時、透はこちらに覆いかぶさろうと徐々にその体勢を傾けつつあった葵の身体を逆にシーツの上へと組み敷いてみせた。

「忘れないでよ、俺がお前に抱かれてる理由を」
「……っ」

性欲さえ満たされれば、心を渡さずに済むだろう。
最初はそう考えていたのに、どうして。この男はいつまで透を求め続けるのか。
重く湿った沈黙が、どんよりと部屋の中に充満する。淀んだそれは肌にぴったりと張り付いて根を張ったように離れない。あまりにも不愉快な感覚だった。
見下ろした男の双眸にはいつしか涙が滲んでおり、浮かべられた表情は実に痛々しい。未だ彼の下腹では劣情が渦巻いていることだろう。にも関わらず、こみ上げる性欲を打ち消すほどの悲しみに打ちひしがれる葵の想いが、熱が、溢れ出している様も腹立たしくて仕方がなかった。

「ああもう、面倒臭いな。やる気がないなら、帰ってよ」

言葉で突き放すと同時、組み敷いた葵の身体から、そしてベッドから降りてしまおうとその身を起こす。性欲の捌け口にすらなれない男になど用はない。マスターベーションに興じていた方がまだ有意義だろう。
だが、透には初めから分かっていたのだ。ここで確実に引き止められることを。

「待って、下さい……っ」

案の定、伸びてきた腕に手首を捉えられ、思わずほくそ笑む。
ほら、やっぱりそうじゃないか。どれだけ傷ついても、哀しくても、下心には抗えない。要するにお前が一番に求めているものも、結局は性欲のぶつけ所なんだ、と。
彼の紡ぐ綺麗ごとが粉々に打ち砕かれ、快楽の焔に焼かれていく様は何度目の当たりにしても爽快だった。
自分よりも深い傷を負った人間を優位な立場から見下ろして嘲り弄ぶ行為は、卑劣でありながら何よりも透の慰めとなってしまっていた。

「……なに?」

平静を装い、ゆっくりと振り返る。
再び交わった視線は熱く爛れていた。

「行かないでください。お願いだから……」

切実な声音が、堪え切れない興奮で上擦る。
純粋な恋心が劣情で塗りつぶされていく様は、実に滑稽であった。

「じゃあ、さっさとしなよ」

促せば、透の身体はたちまちベッドへと引き戻される。
今度こそ葵に組み敷かれ、性急な手つきであっという間に纏った衣服は寛げられていった。
その手つきには以前のような躊躇はない。恐らくは透以外の男を抱いた経験などなかったくせに、今では随分と慣れたものである。
それは上達というよりも、堕落に近かった。肌を重ねれば重ねる程に、彼は都合の良い男へと変わっていくようだった。要するに、傀儡だ。四肢に絡みつく糸を切ってしまえば最後、この男はもう、動けない。そして、どこへ行くことも出来ないのだ。
こみ上げる愉悦と、優越感。醜い感情が垂れ流されていく解放感は格別だった。
外気に晒された下肢に、もったりとした熱気と甘さが絡みつく。
――これだ。これこそが、混じりけのない悦楽だ。恋だと愛だの情だのと、不純物がなにも含まれていない真っ新な煩悩。これを慰める為に透は彼に肉体を許していると言っても過言ではなかった。
子孫を残すという目的から外れたセックスは所詮、欲望を吐き出す為の行為である。与えるでもなく、与えられるでもなく、日々蓄積された鬱憤を定期的に吐き出すだけの、云わば排泄だ。
生理的欲求にくだらない理由などいちいち付けていないで、さっさとすべてを吐き出してしまえ。そう胸中で吐き出しながら透は瞼を伏せ、閉ざした視界の中、与えられる愛撫を淡々と受け止める。
まずは、ぐったりと萎れたままであった陰茎をゆるゆると緩慢な手つきで扱かれる。この期に及んで未だにやる気があるのかないのか判別のつかないその様に思わず眉を顰めたが、もはや口に出して指摘する事さえ億劫だった。
感触を確かめるように全体を擦り、亀頭が持ち上がって来た頃を見計らって雁首へと念入りな刺激を与える。そして最後に残ったのは根元の立ち上げだ。十分な硬度を確かめたその後で、射精を促すような小刻みのストロークが断続的に与えられる。
勃起こそすれど、呼吸の乱れや気持ちの高ぶりはない。虚しいものだった。

「先輩、このまま一度出しますか」

本人は必死に抑え込んでいるつもりのようだったが、隠しようのない劣情と興奮が滲んだ声音で葵が囁きかけてくる。
薄目を開けて彼の下肢を確認すると、そこはなんの愛撫も受けていないにも関わらず大きく膨らみ、制服のスラックスを窮屈そうに押し上げていた。

「……そんなのいいから」

脚を伸ばして衣服越しに葵の屹立をぐり、と踏みつけたその瞬間、葵はようやく他人から与えられた刺激に耐えかねたのか情けなく腰を引きながらみっともなく呼吸を弾ませる。
「コレ、さっさと出しちゃいなよ。手がいい? クチでするのはあんまり好きじゃないから勘弁して欲しいとこだけど」
足裏を擽る欲望の膨らみは、これ以上育てる必要もなさそうだ。
一体、自分の何がそんなに彼をそそらせるのか――我ながら解せない。とんだ物好きであると呆れずにはいられなかった。

「先輩のナカが、いいです」

肩が上下するほどに呼吸を乱しながら、葵が呟く。

「……あんたの中に、全部出したい」

双眸に宿る下心は最早、焔などではない。れっきとした「火炎」となってその瞳の中、燃え盛っていた。
吐き出された嘘偽りのない曝け出された本音が空気を沸騰させ、透の肌を焼く。纏わりつくその熱気が喉に絡んで、息苦しい。

「好きにすれば?」

どうにも興が削がれてしまった。日が悪かったのか、はたまた潮時が訪れたのか――最早、葵との情交は憂さ晴らしにはならないらしい。こちらがわざわざ言葉で叱りつけ、逃げる素振りまで見せないと曝け出される事のない彼の煩悩があまりにも煩わしかった。
こうなったら、さっさと終わらせてしまおう。くだらない火遊びは今日で終わりにするべきなのかもしれない。
密かな決意を胸に抱きつつ、再び透はその瞼を伏せ、自らの身体を投げ出したまま挿入の時を待つ。

「……っ、先輩……!」

ほどなくして、事前に透自ら解し慣らしておいた窄みを割り開き、彼の欲望がゆっくりと押し入って来る。
締め付ける粘膜の中、脈打つ楔の圧迫感は、何度味わっても生々しい。男が抱く煩悩を直接、内臓で受け止めるという行為がいかに淫靡で背徳的か、思い知らされるようだった。

「……熱い」

時間をかけて性器を根元までようやく埋め込んだ葵はというと、組み敷いた透に覆いかぶさったまま、どこかうっとりとした様子で吐息交じりに囁いた。
自らの欲望に纏わりつく粘膜の蠢きが心地よいのか、その腰は早くも小刻みに揺れて悦楽を貪欲に求めている。
肉と肉が擦れ合う感触、内臓を穿とうとする熱の温度――その生々しさは、自らが生物であると否が応でも自覚させられる。これが死と隣り合わせの日々を送る透が唯一、生きていると実感できる瞬間なのかもしれない。生殖行為の真髄に辿り着いたような、奇妙な気分だった。

「今日は、いつもより深いところまで入りたいです」

もぞもぞと落ち着きなく下肢を蠢かしながら、ふと葵が耳元で囁いた。

「ココまで、挿れます」

言いながら彼は人差し指で透の下腹、臍の直下辺りをトントンと軽く叩いてみせる。実に生意気な仕草であったが、当の本人は気取っているつもりはないようで、その双眸は依然、激しい劣情を湛えたままこちらの肢体を鋭く貫いていた。

「……勝手にしなよ」

無意味な宣言を口にしている暇があるのなら早く動けと睨み上げれば、葵は微かにその眉尻を下げ、少々気落ちしたように肩を軽く竦めてみせる。だが、差し込まれたままの欲望がその熱を喪うことはなかった。むしろ徐々に脈打つそれは肥大していっているような、窮屈ささえ感じる程である。
一刻も早く事を済ませろという意味も込め、膨張を続けるそれを試しに締め付ければ、伸し掛かった男の下腹がびくりと震える感触を肌越しに感じることが出来た。
この様子から察するに、恐らく長くはもたない。葵の為にわざわざ自らの直腸に埋められた性器を意図的に刺激してやらなければならないのは不本意であったが、もはや口論する時間さえ無駄というものだ。吐き出すものを吐き出せば、彼の頭もいくらか冷えるだろう。

「っ、せんぱ……い……!」

そうして、律動は始まった。
齎されるこちらの強烈な締め付けに抗うかの如く、葵の欲望は肉を割り開いてより深い場所へ潜り込もうと腰を限界まで押し付けてくる。
生じる摩擦は、もはや灼熱だ。せいぜい人間の体温は三十度半ばほどであるというのに、どこからこれほどの熱が生まれるというのだろう。このまま彼の性器を体内に残し続けたら、直腸がいつか焼け爛れてしまうか、もしくは跡形もなくドロドロに融解してしまうのではないかというあり得ない妄想が脳を過った。

「はは、凄い……。溶けそう、だ」

どうやら目の前の男も同じ感覚を共有していたらしく、徐々に腰を打ち付ける速度を早めながら嬌声交じりに呟いた。
彼の呼吸は激しくなる律動に合わせ、興奮した獣のように荒く乱れていく。一方、こちらは至って冷静なものだ。穿たれれば穿たれるほどに心が冷めていくのが分かる。
決して、苦痛を感じたり不快感を覚えているわけではない。だが、決定的に「なにか」が足りないのだ。あと一歩のところで快楽に届かない、奇妙なもどかしさ。これでは鬱憤が溜まるばかりではないかと密かに溜息を零した、次の瞬間。

「……っ、あ……?」

硬く膨らんだ葵の亀頭が、とある場所を掠めたその時、意図せず透の喉が反れた。
下腹が熱い。しかしそれは、直腸へと埋め込まれた葵の欲望が発する熱ではなく、透自身の肉体から生じたものである。
爪先が痺れ、性器を押し込まれるたびに跳ね上がってしまうのを止められない。どうしてしまったというのだろう。
葵との情交は、これが初めての事ではない。幾度となく身体を重ね、熱を吐き出し、互いを捌け口にしてきたはずだ。それなのに、この感覚は何なのか。

「ッ、く……!」

じわじわとこみ上げる、痺れにも似たそれは紛れもない「悦楽」である。度重なる情交で手に入れる事の出来なかった疼くような衝動が、どうしてだか今、透の肉体を侵食せんと溢れだしていた。

「まだ、届いてない……」

相変わらず律動を刻みながら、葵がうわ言のように小さく呟く。

「先輩、少し力抜けますか。もっと……」

――もっと、奥に入りたい。
こちらの異変に気付いていないのか、葵は独りよがりの性交が齎す快感に溺れているようで、もはやその腰遣いは自らの子孫を残そうと躍起になる動物のそれと大差がなかった。
セックスというよりも、交尾と称した方が適切であろう、下品な性交である。常ならば、このようなはしたない行為に興奮を覚えるような透ではない。なのに、どうして。

「ちょっと待て、ってば……」

爪先からこみ上げてきた痺れはいつしか胴体を通り過ぎ、指先までをも淫らに支配する。危険な兆候だった。
どうにか律動を制止しようと、透は瞼を開き、覆い被さる男の未発達で薄い胸板を懸命に押し返そうと試みる。だが、彼は止まらなかった。

「あと少しで、届くから……。ココまで、あと少し……」

穿つその腰つきは、もはや蹂躙に近い。
透の肉体のみならず、理性も平静も、本音すら打ち崩してしまうような激しさで攻め立てられ、徐々に考える力すら奪われていくのが分かる。このまま何もかもを失くしてしまったら、自分はどうなるのか。

「ァ、だめ……!」

恐ろしかった。すべてを失くした心身に葵の熱を打ち込まれたら、何もかもが流れ込んできてしまったら――。

「あああ……ッ」

怖気づいた透が腰を捩って逃れようとした、その時だった。
事前に葵が宣言したその場所、結腸のあたりで強烈な衝撃が大きく爆ぜた。
思考がぼやけ、四肢がだらりと力を失う。視界はチカチカと明滅を繰り返しており、一体なにが起こったのか把握する事が出来なかった。

「せん、ぱい……?」

見上げた先には、瞠目する葵の表情。こめかみから伝い落ちた汗が白い頬を伝って、浮かべられたその焦燥を露わに示していた。
それを目の当たりにした透は、瞬時に悟る。痴態を、見られてしまったと。よりにもよって、葵に。

「先輩、感じてくれたんですね」

見開かれていた男の瞳が、歓喜の為かどろりと蕩ける。

「ちが、ちがう……! 感じてなんかない、気持ち良くなんか……」
「でもホラ、全部出てますよ」

無遠慮な手つきで葵が掴んだ透自身は、彼の掌の中でぐちゅりと淫猥な水音をたてた。
違う、そんなはずはない。恐る恐る見下ろすと、自身の下肢――外気に晒された性器は力なく萎れる代わり、その先端から吐き出したらしい白濁を辺りに撒き散らしていた。
どこか呆然とした、それでいてうっとりとした男の視線が纏わりついて、離れない。その眼差しから逃れようと今更ながらに身を捩ろうとしたものの、させまいと伸びてきた葵の腕に身体を縫い付けられ、痴態を隠し切れなくなる。

「違う、こんなの……っ、どうして……!」
「いちばん奥、気持ち良かった?」

収縮を繰り返す粘膜の中で、未だ硬度を保ったままの葵自身が力強く脈打つのを感じた。

「あ……っ」

瞬間、透は悟ってしまう。またあの強烈な快楽が、ぶりかえしてしまうのだ――と。

「嬉しいです、先輩……。ちゃんと先輩も興奮してくれてるトコ、初めて見れました」

勘違いをするな、興奮などしていない。未知なる秘所に与えられた衝撃に少しばかり驚いただけだ、と。切羽詰まる頭の中、言い訳ばかりが浮かんでは口に出されることもないまま煙のように消えていく。
否定しなければ。そして、釘を再び刺してやらなくては。恐らく葵は勘違いをしてしまう。こちらが快楽に翻弄されている姿を「受け入れた」と身勝手に解釈し、思い上がっては面倒だった。

「嫌だ、葵……っ! だめ、そこは……」

再び律動を刻もうと、透の臀部に男の腰が打ちつけられる。
膨らんだ亀頭が結腸の粘膜を擦ったその瞬間、全身の肌が粟立つと同時、こめかみから、首筋から、冷や汗が噴き出して止まらない。
熱い、苦しい、気持ちいい。ありとあらゆる感覚に全身を支配され、意識がぼんやりと掠れていく。

「ン、ああ……ッ、や、はァ……」

もはや透は、自身の意志で指先ひとつ動かす事も出来なかった。
揺さぶられるたび、穿たれるたび、筋肉の痙攣によって勝手に内股や下腹がぴくりと跳ね上がってしまう。思わず零れ出る嬌声も、ほとんど無意識だ。だらしなく開いてしまう唇では、みっともない喘ぎを噛み殺す事は不可能に近い。
隠したい、見られたくないと思っていたすべてが垂れ流しとなり、葵の眼前へと曝け出されている。
やめろ、見ないでくれ。だが、身を捩ることすらままならない。

「もっと、見せてください。もっと、感じてください……」

耳朶に舌を絡めながら、途切れ途切れに葵は囁く。

「ねえ、先輩。このまま奥で、出してもいいですか」

だが、そんな男の言葉はもはや、透の耳になど届いてはいなかった。
内臓に突き刺さる快楽はもはや拷問のそれと変わらない。まるで、男にはあるはずのない子宮がそこに生まれてしまったかのような、実に不可解で出鱈目な衝撃だった。
屈辱だった。女々しく喘ぎ、悶えることしか出来ない現状が。女のように愛され、翻弄されかかっている事実が。なのに、それらを振り払う術はない。否定は肯定へとすり替わり、拒絶は許容に溶けていく――。
こんなの、知りたくなかった。他人に心身を蹂躙され、支配される感覚など、透には不必要なものである。踏み込むべき領域ではない。此処は、自分が居るべき世界ではないと頭を振りたかった。

「一番奥に、出してあげます。俺の全部を受け止めてください」
「あ、う……っ、アア!」

達して間もないというのに、身体の末端から再び絶頂の波がせり上がって来るのが分かる。それは尿意にもよく似ていて、本能的な生理現象であることを暗に示していた。要するに、目の背けようもない人間としての、否――動物としての性なのだ。

「だめ、また来る……っ、また、漏れる……!」

これ以上、快楽が肉体から溢れてしまったら自分はどうなってしまうのだろうか。燻る熱を全部吐き出してしまえば、いずれは冷めるのか。だが、しかし――忘れられなくなったら、どうなる?
いま抱えている劣情を慰めたとしても、一度で済むとは思えない。
快楽とは、人を堕落させるものだ。セックス然り、薬物然り。人間は心地良いと感じたものへと強く依存する。我を失うほどの衝撃であればあるほど、皮膚の中、五臓六腑の奥深くまでそれは刻み込まれるのだ。
葵の存在が、この身体に焼き付いてしまう。焦がれるような悦楽と劣情を覚え込まされ、やがて手放せなくなるというのだろうか。

「……好きです、先輩。やっぱり好きなんです」

弾む呼吸の合間、堪え切れずに零れる恋慕を咎める余裕はない。
「俺だけの一方的な想いじゃ、身体だけじゃ……。もう満足出来ないんですよ。あんたの全部が欲しい。俺だって、あんたに想われたい、好かれたいんだ」
切実さを帯びる声音に導かれるようにして、透は薄くその瞼を開いた。滲む視界の向こう側には、絶頂を間近に控えた男とは思えぬ今にも泣きだしそうな表情を浮かべた葵がいる。
透が心の底から疎ましがっていた、自分を恋慕うあの貌。繰り広げられている情事に似つかわしくない、純粋な愛情を湛えた双眸がこちらの痴態を捉えて離さない。

「俺だけじゃダメなんだ。俺だけが、気持ち良くなるだけじゃ……」

シーツの上へと力なく投げ出されていた透の掌に、葵のそれが重ねられる。指先が絡み合い、いつしか縋るように握り込んでいた。

「ン、ああ……! ァ、やああ……っ」
「ッ、先輩……!」

瞬間、内臓の奥の奥――結腸の入り口で、熱が弾けた。同時に、透もまた抱えた劣情を解放する。体中の血液や水分、精液に至るすべての水分を吐き出してしまったような強烈な排泄感の後で、今度はふわりとした、今の今まで散々この肉体に打ち込まれ続けていた強烈な悦楽が齎す衝撃とは相反する浮遊感に苛まれた。
あたたかくて、切なくて、どこか息苦しい。甘くて、それでいてほろ苦くて、二度とは味わいたくないような、もう一度それを含んでしまいたいような、何とも形容しがたい感覚だった。

「う、あ……」

下腹がじんわりと微かな熱を持つ。快楽の余韻だろうか、それとも葵の吐き出した白濁が齎した体温の名残なのか。分からない。理解しようとする気力もなかった。
今はただ、雲の上にでも寝そべっているような心地の良い喪失感に包まれていたい。浸っていたいのだ。
しかし、葵がそれを許さなかった。未だ透の腹の中、結腸の手前でその熱を喪い、萎れていたはずの欲望がなにやらピクピクと痙攣しているのが分かる。

「ン、馬鹿……っ、早く、抜けよ、ぉ……っ」

瞬間、浮遊感はたちまち淫靡な色へと塗り替えられ、尾を引いていたはずの余韻は再び確かな快楽の焔となって激しく燃え始めた。

「……まだ、足りない」

言いながら、葵は自らの乾いた唇をぬらぬらと光る舌先で湿らせ、色欲と純愛の入り混じった複雑な双眸をすっと眇めてみせる。
そんな視線に射抜かれ、再び肌が粟立った。

「ァ、だめだってば、葵……っ、もう、これ以上は……」

このままでは、自我さえ失くしてしまうかもしれない。
ようやく絞り出した声で透は拒絶を示したものの、どうやら彼はこちらの意見になど耳を貸すつもりなど端からないようだった。

「今日は、離してあげられそうにないです。あんたに、気持ち良いって言ってもらえるまではね」

繋いだままの指先に力を込めながら、葵は笑った。
無垢で無邪気なその表情は、透が大嫌いな穢れを知らない笑顔であった。