ハイスペック大人女子×冴えない喪女

約束の時間は、十分ほど過ぎていた。
待ち合わせた駅前のロータリーにて、ルリはスマートフォンを胸の前で握りしめながら、そわそわと過ぎ行く車の列を視線で追いかけ、想い人が到着する瞬間を、今か今かと待ち望む。
ひょんな出会いから親しい付き合いを交わす事となった女性から宿泊の誘いを受けたのは先日のこと。
仕事帰りに車で迎えに行くからと微笑んだ彼女の美しい顔立ちが、今もなお瞼へと強烈に焼き付いていた。
色恋沙汰など、無縁の出来事であると地味に暮らし続けていたルリの目の前に突如現れた彼女は、そんな自分とまさに対極に位置する人間で、華やかな顔立ちと、それを引き立てるすらりとした長身、更には一目で上等のものだと分かるブランド品の数々――。
あれほどまでに眩い光を放つ人間を、ルリは今までに一度たりとも目撃した試しがない。
そんな彼女、扇夏がなぜルリと懇意な仲になったのか。
いつだったか、繁華街を歩いていた時の事である。行きたくもない美容室に、社会人として最低限の身だしなみを保つべく向かっていたその途中、目の前でぼとりと落とされた真っ赤なブランド物の長財布を拾ったことをきっかけに、あろうことか同性にも関わらず交際へといつの間にか発展してしまったのだが、以来、ルリの人生は彼女と接しているときに限り、まるで御伽噺か映画のような煌びやかなものへと塗り替わる事となった。
厳しいドレスコードが設定された高級レストラン、会員制リゾートホテル内の広く美しい温水プール、値段の記されていないメニューの置かれたバーラウンジ――。
足を踏み入れただけで眩暈を覚えるような空間の数々にすっかりと疲れてしまったルリが今度会う時はもう少し落ち着けるような質素な場所がいいと零したところ、自宅への宿泊を提案されたというわけである。

「……逆に緊張しちゃうんだけどね」

そもそもの話、あの装いから言動まですべてが派手に彩られた扇夏の住む自宅マンションが質素であるわけがないのだ。
恐らくはとんでもなく高層階の、ホテルと見まごうようなところへ連行されるに違いない――と、ルリが密かに肩を落とした、その時だった。

「……!」

突如、目の前に飛び込んできた真っ赤なスポーツカー。
車についての知識はほぼ皆無のルリだったが、洗練されたフォルムを持った左ハンドルのそれが恐らく高級外車であろうことは一目で察する事が出来た。
そしてその中から颯爽と姿を現したのは、仕立ての良いスーツを纏った例の彼女、扇夏である。

「ごめんねえ、ルリちゃん。ちょっと遅れちゃった!」

まるで映画のワンシーンのように、あろうことか薔薇のブーケを抱えてこちらへと駆け寄ってきた彼女の姿は、待ち合わせた当人のルリだけではなく、その場に居た通行人ほぼすべての視線を独占し、文字通りきらきらと輝いていた。

「これ買いに行ってたら渋滞に巻き込まれちゃってね」

はい、プレゼント――と言って差し出されたそれは、あろうことかルリへの贈り物だったらしい。
様々な品種で彩られたブーケを受け取りながら、ルリはその頬を深紅の薔薇にも劣らぬ鮮やかな朱でたちまち染めあげてしまう。

「先生、相変わらずですね……」

羞恥と歓喜に蕩けた情けない顔をまじまじと眺められたくなくて、ルリは手にした薔薇の花々で自らの表情を隠したのだが、

「あらあら、照れちゃって。そんな可愛らしい反応されると、ますます尽くしたくなっちゃう」

どうやら扇夏をますますと煽ってしまったらしく、花弁の隙間から見える彼女の形良い唇がにやりと妖しく弧を描いた。
基本的には優しい彼女だが、たまにこうして意地の悪い言動をちらつかせる辺り、生まれながらにして人の上に立ち続けてきた人間独特の傲慢さと強引さが窺える。
本来、こういった人種とはなるべく関わらないよう生き続けてきたはずなのだが――人生、なにが起こるか分からない。

「は、はやく行きましょう。また渋滞に巻き込まれたら大変です」

いつまでも往来でやり取りをしていては、人だかりが出来かねないとブーケにその顔を埋めたまませかすと、扇夏の方はまだルリの事をからかい足りなかったのか、いささか不満げな表情を浮かべたが、遅刻した手前、あまり強引な真似は出来なかったのだろう。
それもそうねと呟きながら、彼女はその身を翻すとスポーツカーの扉を恭しく開き、助手席に乗車するよう促したのであった。

(以下略)
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