狗巻狛の回想録

織田信秀の葬儀

織田家の当主であった信秀の葬儀がしめやかに執り行われている最中(さなか)、狛(はく)は平手政秀と共に寺の外を真っ青な顔を曝しながら忙しなく走り回っていた。

「政秀様、いかがでしたか?」

額に滲む汗を式服の袖で拭いながら狛が尋ねると、政秀は苦々しい表情を浮かべてその首を力なく左右に振る。

「まったく、御父上の葬儀に姿を見せぬとは……。なんたるうつけか」

亡き信秀に代わり、織田弾正忠家の家督を継ぐはずの男が未だ葬儀場に姿を現そうとしない。
その男の名は、織田信長
知勇に優れた武将と讃えられた信秀の嫡男でありながら、尾張の大うつけと称される実に型破りな性分の持ち主ゆえ、後見役の政秀は常に胃痛を抱えていたという。
信長という男はまず、その出で立ちからして異様であった。
髷も結わず色鮮やかな飾り紐で乱雑に伸ばした髪を束ね、湯帷子に袖を通し、腰には瓢箪と草履をぶら下げて柿を齧りつつ町を堂々闊歩するその姿は、うつけでないとすれば狂人としか思えない。
その奇天烈さは出で立ちだけに留まらず、乱暴な振舞いで政秀をはじめとする忠臣を悩ませる一方で、身分を気にかけず町の若者と童の如く無邪気に遊びまわる一面も持っているらしい。
生まれを鼻にかけないその振る舞いは同年代からの支持を集めているとも聞くが、織田家の跡取りとしては全く相応しくない言動であると家老連中は信長を〝うつけ〟と蔑み、織田家の行く末を憂いてやまない。

「政秀殿、狛殿!」

――と、その時である。
ひとりの寺小姓が半ばつんのめりながら狛たちの元へ息せき駆け寄ってきた。

「どうしたんですか、そんなに慌てて……」

荒げた呼吸と共に大きく弾む背を宥めるように撫でてやりながら狛が尋ねると、何かを察した様子の政秀は寺小姓が事情を語り出す間も待たずに萬松寺内へと引き返してしまった。

「ま、政秀様?」
「狛殿もお急ぎください。信長様が、信長様がいらっしゃったのです!」

父の葬儀に跡取り息子が少し遅れて姿を現しただけで、ここまで取り乱す必要があるだろうか。
否、尾張の大うつけと称される男が何事も起こさぬはずがない。

「……わかりました、ご報告ありがとうございます。私もお寺へ戻ると致しましょう」

そう言って狛もその身を翻すと、政秀の後を追うようにして未だ葬儀の続く萬松寺へと大急ぎで駆け戻った。


辿り着いた先に待っていたのは、耳が疼くほどの静寂であった。
信長が坊主の一人や二人は殴り倒しているのではと危惧していた狛はひとまず胸を撫で下ろしたのだが、次の瞬間、ぎょっとその目を見開き、思わず息を呑む。
居並ぶ参列者の先頭に立つ男の出で立ちが、死者を弔うに相応しくない鮮やかな色彩で飾られていたからだ。
後頭部で揺れる組紐はあろうことか紅白の二色、片袖の抜かれた湯帷子に派手な柄の半袴という装いで祭壇前に立ち尽くすその背は、さながら死者に裁きを下す閻魔のようであった。

「……これが、俺なりの報いだ」

静まり返った空間に、唸るような低音が絞り出される。
その呟きはどこか寂し気に滲んでいたような気もするが、それは落胆だったのかもしれないし、単なる悪態だったのかもしれない。
彼の真意を掴み損ねていたのは狛だけではなかったらしく、信長がようやく口を開いたにも関わらず、政秀すら未だ彼の言動を咎められずにいた。
――が、次の瞬間。事態は一変する。

「の、信長様!」

今しがた紡がれた声音のやるせなさとは裏腹に、動物的な所作で信長は抹香をその手に鷲掴むと、あろうことかそれを位牌目掛けて投げつけたのだ。
あまりの行いにさすがの政秀も言葉を失い、ただその肩をわなわなと震わせるばかりである。
そして沈黙を切り裂いてあがった一瞬のどよめきも潮が引くように再び粛然の波にのまれ、いよいよ空間が凍り付く。
だが、当の信長は意に介さない。
彼は誰と視線を交わらせることもなく、そして自らの行いについて事情を語ることもなく踵を返し、悠然とその場を立ち去った。

「政秀様……!」

信長の後を追うべきか、否か。
意見を仰ぐべく狛が政秀の顔を覗き込むと――。

「……これぞ、尾張の大うつけ。織田信長よ」

彼は、不敵にほくそ笑んだ。

「ま、政秀様。それは一体、どういう……」

尋ね返してみたものの、意味ありげな微笑が浮かべられるのみで政秀はそれ以上の言葉を語ろうとはしなかった。
その思惑の全貌が明かされたのは翌年、閏一月のこと。
彼は信長への嘆きと憂いを遺し、自らその命を絶ったのである。