玄稀の回想録

宣教師と共に

宣教師の船に乗り込み、早数日。
明朝には日本へ辿り着くだろうと聞かされてからは幾分か気分は和らいだものの、なにせ初めての船旅である。
一日の大半を横になって過ごさねばならないほどに内臓は疲弊し、もはや吐き出すものは何も無くなってしまった。

「もう二度と船なんか乗らねえぞ……」

甲板に両手両足を投げ出す形で横たわった男が、誰に聞かせるわけでもなく弱音を吐き捨て、涙交じりにぐすりと鼻を小さく鳴らす。
彼の名は、玄稀(げんき)。仮にも四神を名乗る立場でいるのだが、霊獣とて万能ではない。
連日、波に揺られ続けていれば、鬼であろうが蛇であろうが青空の下、気分転換に四肢を放り出したくもなるだろう。
――日出ずる国には魔王がいる。
偶然出会った宣教師からそう聞き及び、玄稀は国許を勢いのまま飛び出した。
元々、放浪癖のある彼は修行と称して長旅へとしばしば出掛けていたのだが、異国を目指したのはこれが初めての事だった。

「アイツら、今頃大騒ぎしてるかな……」

唯一の心残りと言えば、国許に残してきた実妹の夕稀と、愛弟子ましろの今後である。
書置きは残しておいたものの、玄稀のやることなす事をすべて模倣しようとする彼女らは自分たちも日ノ本を目指すと騒ぎ出すに違いない。
「まあ、騒いだところで今回ばかりは後を追ってこれないだろうしな。これを機にしっかり自立してもらいたいモンだ」
そう呟いた直後、再び吐き気が喉の奥からこみ上げてきた為、玄稀は慌てて寝返りを打ち胎児のように身体を丸めると、日ノ本到着まで意識を眠りの中へと沈めるべく目を閉じたのであった。


件の魔王は、建築途中である二条城の様子を眺めていた。
宣教師、ルイス・フロイスと共に目撃した男の姿は、確かに噂通り匂い立つような禍々しさに彩られていたものの、その態度は異邦人に対して随分好意的であるという印象を受けた。
天下をその手中に収めようとしている魔王ゆえ、高圧的な態度を取るのだろうと警戒していた玄稀たちは意表を突かれ、思わぬ歓迎に戸惑いすら覚えてしまう。
その上、フロイスの布教活動にあっさりと許可を下したのだ。
更に加えて彼は武者修行と称し、祖国を旅立った玄稀の身の上を知るや否や、

「青龍よ、我と共に天下を獲るか」

城が組み上がっていく様子を見据えたまま、魔王はにやりと不敵に口角を吊り上げながら玄稀に語り掛けてくる。

「この世で最も苛烈な戦に招待しよう」

紡がれた残酷な誘惑に、ぞくりと背筋が粟立った。

「いいぜ、アンタと一緒に戦ってやるよ」

この男の元であれば、その言葉通りに壮絶な戦いへと身を投じることが出来るだろう。
それが例え地獄へ通ずる誘いだったとしても、応じずにはいられなかった。