ブーツフェチ物で洗脳NTR

おまかせコースより御依頼

頂いたご依頼内容
洗脳寝取りもの
洗脳された(彼女、妻)がブーツを履いて(彼氏、夫)に厳しい折檻
室内でもブーツは脱がず、折檻する時も踏みつけや蹴りメイン

「ただいま」

涼子との結婚から早三年、幾度となく繰り返した台詞だった。
彼女は僕と籍を入れて以降、それまで長く勤めていた化粧品会社を退職し、所謂専業主婦として実に健気に家庭を守り続けてくれている。
とはいえ、なんだかんだ僕も一人暮らしが長かった故、彼女ひとりに家事の負担を背負わせるつもりは毛頭なかったのだが、曰く「家事をこなしつつ夫の帰りを待つ生活がずっと夢だった」と語る本人の強い希望により、こういった少々時代錯誤にも思える結婚生活を送っていた。なにせ女性従業員だらけの職種、それもキャリアウーマンが多い会社であった故に寿退社の際は同僚たちから「家事に専念するのは勿体無い」と惜しまれたそうだが、にも関わらず彼女が僕を支えることに専念すると宣言してくれたその事実は、僕にとって何よりの励み、そして喜びとなっている。
疲労の蓄積された気怠い足を引き摺りつつ玄関の扉を開くたび、鼻腔をくすぐるのは食欲を唆る料理の香りも日々の楽しみの一つである。そしてぱたぱたと可愛らしい足音を立てながらこちらまで駆け寄ってくる彼女の愛らしい姿と、極上の笑顔から繰り出される「お帰りなさい、今日もご苦労様」という労いの言葉。
それらを目の当たりにするごと膨れ上がる幸福感は、何事にも代え難いものである。
――が、しかし。

「……涼子?」

どうしてだか今日は玄関の扉を開けても尚、食欲を唆る品々の匂いも、彼女の姿も見当たらなかった。本来であれば玄関や通路に点っているはずの電灯も電源が切られているのか、実に寒々しくひっそりと鳴りを潜めていた。
体調でも崩しているのだろうか。だが、それならば彼女からなんらかの連絡がすぐに僕の元へ入るはずである。まさか、連絡も取れないほど緊急性の高い事故や事件に巻き込まれたのではと焦りを感じ、僕は履き古した革靴を慌てて脱ぎ捨て、彼女が待っているはずのリビングへと半ばなだれ込むようにして駆け込んだ。

「おや、旦那さんのお帰りですか」

瞬間、眼前に飛び込んできた光景は実に不可解なものであった。
見知らぬ恰幅の良いスーツ姿の中年男が、我が物顔でリビングの二人掛けソファに腰を下ろしていたのだ。
歳の頃は五十代といったところだろうか。薄い頭髪とその顔面に滲んだ油分は思わず眉を顰めたくなるほどに不快であったが、それにしては纏ったスーツは皺一つなく、それが有名なブランド物であろう事が一目で察する事ができた。
身なりに気を遣っているのか、いないのか。不可解なその出立は実に不穏で、穏やかなはずだった僕たちの生活に突如として現れた異物であることは明白であった。
そしてその傍には、真っ黒で挑発的なデザインの下着にガーターベルト、そして何故か室内だというのに黒革のロングブーツを身に纏った僕の妻――涼子の姿が、そこにはあった。

「りょう、こ……?」
「突然のことで驚かれましたよね。私の方からご説明致します」

戸惑う僕に応えてみせたのは、涼子ではなく中年男の方である。

「申し遅れました。私、こういう者でして」

言いながら男が差し出したものは、一枚の名刺である。
聞いたこともないような会社名と、明らかに偽名だと窺える「山田太郎」という名前、その上には「開発部」という部署名が実に質素なレイアウトにて簡潔に記載されていた。

「いやね、昼間にお買い物中の奥様を見かけまして。ピンと来るものがあったんですよ。貴方の奥様、涼子さんには素質がある、と」

下品な微笑と、肌に絡みつくかのようなねっとりとした口調で、男は語り続ける。

「そう、男を悦ばせる〝折檻〟の素質がね。温厚な彼女の奥底から、本来は存在しないはずの凶暴性を引き摺り出して、定着させる。それが我々の仕事でありサービスの一環なのです」

僕は男の言葉の意味を、そして状況を、相変わらず何一つ飲み込めないまま、その場にただ立ち尽くしていた。
男を悦ばせる折檻とは、存在しないはずの凶暴性とは。
淫猥ながらも不穏な趣を隠しきれない言葉の数々が、僕の腹から戸惑いと慄きを強引に汲み上げていくのが分かる。
「私の見込み通り、奥様は素晴らしい素質をお持ちでした。ほら、これを見て下さい」
言いながら男は徐にソファから立ち上がると、クリーニングの行き届いた高級スーツのジャケット、そしてワイシャツを実に手早く脱ぎ落とし、でっぷりとした脂肪を乗せた肉厚の背を僕の眼前へと晒してみせたのだ。

「な……っ」
「素晴らしいでしょう? この傷、この赤み……。私の肌にそれを刻み込んだのは他でもない、涼子さんなのです」

男の背中一面に広がっていたのは、何か尖った物でそこを執拗に刺したのか、それとも殴りつけたのかは分からなかったが、赤黒く細かい鬱血の痣である。所々は出血までしているようで、その傷跡は実に痛々しく明らかに人為的に齎された怪我である事が窺えた。

「涼子さんに踏みつけられるそのたび、あまりの痛み、そして快感に私は堪え切れず何度も射精してしまいました。ああ、思い出すだけで身震いしますよ。是非この悦楽を、旦那様である貴方にも味わって欲しいのです」

瞬間、思考が、精神が、僕の中に流れる時間が凍りつく。
踏みつける、射精、悦楽の共有。相変わらず意味が分からなかった。
だが、しかし。理解できないながらも、本能的に察してしまったのだ。恐らく彼女は、涼子はもう――僕の知る涼子ではないのだ、と。

「ほら、涼子さん。愛する旦那様にも味わって頂きましょう。極上の痛み、そして堕落と悦楽を」

瞬間、僕の横っ面に鋭い衝撃が叩き込まれる。
まるで頬の肉を細く硬いもので貫かれたような、一切の容赦を感じられない目の覚めるような痛みであった。
故に僕は、これが質の悪い悪夢ではないことを認めざるを得なかった。

「なに、を……」

男が発した言葉に促されるまま、涼子は頽れた僕の眼前へと実に横柄な態度で立ち塞がる。

「どう? 私に初めて蹴り飛ばされた気分は」

そんな彼女の発言で、ようやく僕は自身の妻にブーツを履いたままの足で頬を一蹴された現実を知った。肉に沈み込んだあの鋭い感触の正体は、どうやら鋭く尖ったピンヒールらしい。

「どうしたんだよ、涼子……。この男は何なんだ? しかもそんな格好で、今まで何してたんだよ……!」

悲痛な叫びを上げたその瞬間、今度は鳩尾にピンヒールの底が深く沈み込んだ。
無様にも再びフローリング上へと倒れ込む僕を見下ろす彼女の双眸は、信じられないほどに冷たく、しかし不埒な焔を宿しているように見えて実に不気味で不可解だった。

「なんで、どうして……」

しかし、彼女が返答を紡ぐことはない。
代わりに繰り出されたのは、再びの鋭い痛みであった。しかも今度、その衝撃が叩き込まれたのは、あろう事か僕の股座、縮こまった性器の上だった。

「あああああっ! ぐ、ァ……っ」
「ふふ、痛い? 苦しい? でも大丈夫よ、いつかは気持ちよくなれるから。だって、この人がそうだったもの」

僕の性器をグリグリと踵で踏み躙りながら、彼女は伸ばした腕で衣服を整え終わったらしい男の首を絡め取った。

「ねえ、痛みの楽しみ方を教えてあげて? 私にも人を甚振る才能があったように、きっとこの人にも苦痛を喜べる才能があるはずだから」

ねっとりと絡みつくような、甘く媚びた彼女の声音が悍ましかった。
恋人時代を含めるとかなり長い時間を共に過ごしてきたはずなのだが、このような煩悩に塗れた声で彼女が男に語りかける様を、僕は一度たりとも目撃した事などない。ましてや恋仲であった僕に対してすら、ここまで淫靡な声色を零したことなどないだろう。
セックスの際にあげられる嬌声とは似て非なる妖艶なその響きは、煽情的でありつつもどこか狂気に近いような気がして、脳内にたちまち警鐘が鳴り響いた。
駄目だ、耳を傾けては。理解しようとしてはいけない。
そんな危機感を保ち続けることで僕はどうにか自らの中にかろうじて残っていた正気や理性を決して離すまいと抱き続けたのだが、それも長くは続かなかった。
一体、目の前の男はどんな方法で彼女をこんな姿に変えてしまったのだろうか。奇術、催眠、洗脳――。どれもこれも、根拠のない憶測である。それに、こうなってしまった後では今更原因を突き詰めたところで何の意味もないような気がして、僕は膨らむ痛みとは裏腹に思考を徐々に投げ出し始めていたのだ。

「う、あ……」
「ああ、駄目ですよ。与えられる痛みに抗う故、それを苦しいと感じてしまう……。真の苦悶は、痛みに非ずです。否、痛みこそが史上最高の悦楽である事に貴方は早く気付かねばなりません」

彼女の細い腰を、太く短い腕で抱き寄せながら男は嗤った。
苦痛に対し、本気で性的興奮を覚えているのか、それとも彼女同様、僕に対しても特殊な洗脳を施そうとしているのだろうか。
浮かべられた薄笑いからは、一向に男の思惑が透けてこない。
どうして、何の為に。なぜ、彼女が、そして僕が、こんなことに。

「痛みは即ち、生の証なのです。生きる喜び、実感――。自らの命が確かに存在する事を感じる為に存在する感覚、それが痛みなんですよ。が、生きることの証であるが故、大抵の痛みは怪我をした時や病気に苦しんでいるとき等、自らの身体が危機に瀕している際、より強く生じる傾向にある」

自らの理論に酔い痴れているのか、男の表情は恍惚に蕩け、より一層、脂ぎった顔が大きく歪んで醜く蕩けた。
そしてその間も彼女はぐりぐりと、硬く尖った踵の先で僕の性器を容赦なく無遠慮に踏みにじり、涙がとめどなく零れるほどの苦痛を僕へと与え続けている。

「つまり、今わの際に味わう苦痛は恐らく、人間の感覚で得られうる最高の悦楽となる可能性が非常に高い。まあでも、それを常習的に味わうのは非常に難しいことなんです。貴方もたまにニュースで耳にしたりするでしょう。セックスの最中、戯れで首を絞めていたら相手を死なせてしまったという事件を。それは究極の悦楽を求めた末、加減を間違えたことによる悲しい事故なんです。だから私は、安全かつ常習的に味わえる痛み、快楽を提供する為に日夜営業を行っているというわけなんですね」

もはや僕の耳に男の演説など届いてはいなかった。
滲む冷や汗と、鋭い衝撃。毛穴という毛穴に細い針でも差し込まれているような、びりびりとした痛みに肌が粟立って震えているのが分かる。

「あらあら、すごい汗ね。でもそれは、キチンと痛みを感じてる証拠……。あと少し、もう少しであなたにもきっと見えてくるはずだから。痛みの向こう側、本当の快感が」

次の瞬間、ピンヒールの底が項垂れた陰茎をすり抜け、柔らかな睾丸へと深く突き刺さる。

「――っ!」

もはや、悲鳴をあげることさえ出来なかった。
今までに味わってきた様々な苦痛を遥かに凌駕するその感覚は、形容するなれば「罰」、否――「断罪」に近い。
余程の大罪でも犯さなければ味わう機会など滅多に与えられないであろう、拷問に等しい痛みは僕の中から瞬時に色んなものを奪い去っていった。
不審者を警察へ突き出さなければならないだとか、一刻も早く彼女を医者に見せるか何かして施された洗脳を解かなければならないだとか、助けを求めるだとか、そんな当たり前の行動に思い至らない程、肉体のみならず思考の自由さえ奪われてとうとう四肢をフローリング上へと投げ出してしまった。
これは悪夢だ。幸せ過ぎる日々を無意識のうちに憂いていた僕が生み出した、被害妄想の権化なのだ、と。現実逃避に走りかけたが、しかし。責苦は止まらない。それどころかますます彼女は僕の性器へと理不尽な暴力を与え続け、絶え間のない痛みを生み続けたのだ。
その苦痛は即ち、この地獄が決して夢ではないことを証明していた。

「いいですよ、その調子です。だんだんと力が抜けて来たでしょう? すべてを受け入れ、脱力するのです。痛みを許容すること、やがては自ら欲するほどに求めること――そこに辿り着いてしまえば、貴方はもう痛みから離れられなくなる。それが最高の悦楽であると身を以て体感してしまえば最後、二度と真っ当には生きられない」
「あ、ァ……!」

果たして男が何を語り掛けているのか、痺れた思考では理解する事が出来なかったが、どうしてだかそれはまるで睦言のように甘く全身に染みわたる。決して耳を傾けてはならないその囁きが恐らくは彼女の心身を蝕んだであろうことを僕は心の片隅で察してはいたものの、気付いたところで今更どうすることも叶わない。
要するにこれが、服従というものだ。抗いがたい苦痛を以て相手を支配し、掌握する。卑劣で残酷な手口であったが、僕にはもう屈することしか許されなかったのだ。
睾丸を雑に踏みつけられるそのたび、視界は虚ろに蕩け、口端からはまるで赤ん坊のように唾液が堰き止められることもないまま垂れ流しとなり、下顎を汚していく。
恐らく僕はいま、白痴のような表情を晒していることだろう。
情けがなかった。しかし、どうやら彼女は僕のそんな為体をひどく気に入ったようで、滲む視界の向こう側、丸く大きな瞳を爛々と輝かせながら小さな唇をにやりと吊り上げてみせた。

「あは、だんだんイイ顔になってきた……。クセになってきたでしょう? もっともっと、善くしてあげる」

ふと、性器に沈んでいたヒールの感覚が喪われた。
突如訪れた解放感に、引き裂かれかけていた心身が僅かながら息を吹き返す。

「りょう、こ……」

助けを請うように彼女の名前を呼んだその時、今度は喉奥に何かが沈み、深く潜り込んだ。

「あ、ぐ……っ、ンン!」

どうやら先ほどまで僕の陰茎や睾丸を踏みつけていたヒールの先が、僕の口腔内へと差し入れられたらしい。
嗚咽がこみ上げ、涙が滲んだ。呼吸を奪われてしまうかもしれないという恐怖がせり上がり、既に失われていたはずの力が反射的に筋肉を突き動かそうとした――が、しかし。取り戻しかけたその最後の力は、暴力や痛みなどではなく、愛する彼女が、そして見知らぬ男が紡いだ言葉によって今度こそ綺麗さっぱり霧散してしまったのである。

「受け入れて、私のことを。いま感じてる痛みごと、全部愛してその身体に刻み付けて忘れないで」
「受け入れなさい、彼女のことを。貴方がいま感じているそれは、その肉体を引き裂く為のものじゃない。極上の悦楽なのだから」

まるで脳みそを直接掻き混ぜられているような不快感を伴いながら、二人の言葉が僕のなにかを壊してしまった。

「あ、ふ……」

苦痛の底から、本来は存在していないはずの煩悩を引きずり出されたような不本意な衝動であった。
だが、それに僕は抗うことなど出来はしない。断続的に与えられ続ける痛みに突き動かされるまま、いつの間にか伸ばした舌先で突き入れられたヒールを舐り始めていたのだ。

「おや、随分の呑み込みが早い。さすがは、涼子さんの選んだ人だ。つまり二人は結ばれるべく結ばれたご夫婦だったんですねえ」

半ば嘲笑うかのような男の言葉など、もはや心に響くことはない。
この時、僕が狂おしいほどに切望していたのは愛する伴侶から与えられる鋭い感覚――即ち、痛みだった。

「あはは、すっごく可愛い顔……。もっともっと、見てみたいわ」

いつまでそうしていただろうか。口内からずるりと細いヒールが引き抜かれ、唾液の糸がつうっと僕と彼女の踵を繋いだ。

「さあ、服を脱いで。勿論、全部よ。あなたのその肌、直接踏みにじって沢山痕を残してあげるから。嬉しいでしょう? 私もすごく嬉しくて楽しいの。あなたをこうやって傷つけられることが」

僕はゆっくりと上体を起こし、命じられるままもたつきながらも纏っていたスーツを下着と共に脱ぎ捨て、第三者が未だ見守り続けている状況にも関わらず一糸纏わぬ姿となった。
そこで僕は初めて、自身の身体に起こった異変を知る。
あれだけの苦痛を与えられ続けているにも関わらず、そして先ほどまで散々と容赦なく踏みにじられたにも関わらず、僕の性器はその頭を擡げ、赤黒く色付き興奮の兆しを見せ始めていたのだ。

「あら、結構大きくなってるじゃない。そんなに気持ち良かったの? ついさっきまで痛がって泣いてたクセに……。ふふ、すっごく嬉しい」

ふと伸ばされた白く細い指先が、涙や唾液に濡れた僕の顔の輪郭を象るようにゆっくりと、そして官能的な軌跡を描きながらなぞり上げる。
今朝までの彼女を彷彿とさせるような、その優しささえ窺える感触に思わずうっとりと目を眇めたその時、丹田へと再びヒールの先が強烈な痛みを伴いながら深く沈み込んだ。
瞬間、視界がチカチカと明滅する。赤、白、青、黄と様々な星の輝きが眼前に現れては消え、際限なく広がっていく様は実に神秘的であり、あまりにも危険な光景だった。

「あなたのお腹、踏みごたえがあって凄く気持ち良いわ。柔らかすぎず、かといって硬すぎるってこともないし。適度な反発力があって何回でも踏みつけたくなる」

やがて彼女は地団駄でも踏むかの如く、ほとんど叩きつけるような勢いで何度も何度も僕の下腹へとブーツの靴底を沈め続けた。

「ぐ、う……!」

体重を思い切りかけられると、息が詰まった。
酸素を取り上げられた思考はぼんやりと霞み、苦痛を感じているにも関わらず奇妙な浮遊感を伴って僕の肉体を柔く包み込む。
ふわふわと無重力の世界を漂うかのような自由さえ感じられる脱力感が心地よい。このまま意識を失えたら、とても良い夢が見られそうだった。
しかし、そんな僕の滓かな望みが叶えられることはない。
何故なら彼女が与える苦痛は一見、出鱈目なようで実に緻密な力加減の施された折檻だったのだから。
意識を失うほどに鋭すぎず、かと言ってこちらに抵抗心を抱かせるほど生温くもない、実に絶妙な暴力である。それも男が施した洗脳の賜物なのだろうか。わからない。

「気持ち良い? ねえ、気持ち良いなら良いって言って」
「っ、は……。ぐ、う……!」
「こんなに勃起してるんだから、気持ち良いに決まってるわよね。ああ、もっとあなたが乱れている姿が見たい! ねえ、どうしたらあなたはもっと苦しむの? 気持ち良くなれるの? あなたの口から教えてよ……。ねえ!」

僕の腹を踏みつけながら、興奮を抑えきれないのか彼女は半狂乱となりながら不毛な問いかけを繰り返す。

「もっと欲しいでしょう? 痛くして欲しいでしょう?」
「っ、ほしい……」
「聞こえない! それじゃ私の心には届かないわよ」
「う、あ……! ほしい、痛いの……っ」

――もっと、痛くして欲しい。
今となっては、本当にそれが僕の望みであったのかどうかも思い出す事が出来なくなっていた。
苦痛は悦楽とすり替わりつつあり、硬く勃起した亀頭の先からは我慢汁がはしたなく滴り落ちていたものの、心と身体が分離してしまったかのような奇妙な違和感は未だ肌にこびりついたままだった。
考えるより先に言葉が出てしまう。そして、自覚するより早く欲してしまう。痛みと罵倒と、彼女たちが繰り返し提唱する「極上の悦楽」を。

「そうよね、もっと欲しいのよね? ふふ、いいわ。たっぷり味わわせてあげる」

今度、彼女のヒールが叩きつけられた場所は丹田などではなく、硬く大きく膨れ上がった僕の亀頭の上だった。

「あああああああ!」

叩きつけられたその衝撃は、細い尿道の中にまで電流のように鋭く駆け抜ける。それは睾丸の更に奥、前立腺の辺りにまで波及して僕の興奮をより大きく激しく煽ってみせたのだ。

「あら、ヒールが折れちゃったわ……」

酷使されたブーツの細いヒールは与えられ続けるその衝撃に耐えかねたのか、根元の方から無残にもポッキリと折れてしまっていた。

「ああ、いけませんねえ。すぐに新しいものを御用意致します。今度はそうですね、こちらなんていかがでしょう?」

未だ部屋の片隅にて僕たちの不毛な情事を見守っていたらしい男が、どこからか新たな女物のブーツを取り出して彼女へと膝を折りながら恭しく差し出してみせた。
エナメル素材のそれは、明らかに普段使いではなくアニメのコスプレか、それとも舞台衣装か、もしくは特殊なプレイにて用いられるであろうことが想定されたデザイン性重視のニーハイブーツである。
先ほど彼女が着用していたそれよりも更にヒールが高く、もはや履物というよりも凶器性に特化していた。長時間の着用は一切考慮されていない、男の性欲を煽る為だけの存在といっても過言ではない。

「ありがとう、じゃあ履き替えようかしら。あなたは、そこで見ていてね。今から自分の身体をいっぱい踏みつける予定のブーツを私が履くところ……。ちゃんと目に焼き付けておきなさい」

言いながら彼女はブーツを受け取った後、新婚の頃に二人で購入した思い出のソファへと腰を下ろすと、フローリングに転がったままである僕へと見せつけるようにして長い脚を投げ出した。

「は……っ、はぁ……」

焦らすように、ゆっくりとブーツのチャックが下げられる。
履き心地など二の次、否――もはや求められてすらいなかったのであろう。金具を引っ張るそのたびに、エナメルがぎちぎちと窮屈そうな音をたてて小さく軋んだ。

「さあ、今度はこれでどこを踏みつけてあげようかしら」

足先が差し込まれたその後、再び彼女は金具に手を伸ばして今度は開ききったそのチャックを先ほどと同様にゆっくりと、新たなる刺激を欲して息を荒げる僕の焦燥感を煽るような慎重さで片方ずつあげていく。
まずは左足、そして右足。彼女の細い太腿にまで到達するほど長いニーハイブーツは挑発的な下着のデザインと相俟ってか猛々しくも実に色っぽい。
先ほど、このリビングに足を踏み入れてその姿を目の当たりにした時は、未だ二人きりで入浴することさえ躊躇うほどに控えめで清純な彼女には、このような煽情的かつ卑猥な出で立ちはあまりに不釣り合いであると感じたはずなのに、今ではまったく逆の印象を持ってしまっているのだから洗脳とは恐ろしかった。
もはや僕は、在りし日の彼女を思い出せなくなっているのかもしれない。彼女が常日頃から浮かべていたはずの柔和で穏やかな笑顔が、淫靡な嘲笑へと塗り替えられていくようだった。

「そろそろ、射精するところが見たいわね。あなたは、どこを踏まれるのが一番気持ちよかったの?」

再びソファから立ち上がった彼女が、一歩ずつ歩み寄って来る。
コツコツと、硬質な音をたてながら、ゆっくりと。
やがて彼女は仰臥した僕の身体を、ブーツを履いた長い脚で大きく跨いでみせた。
このような角度から破廉恥な下着を身に纏った彼女を見上げることになるとは、誰が予想しただろう。

「さあ、正直に言いなさい。今更、隠し事は駄目よ」

鼓動が高鳴る。未知なる悦楽への期待、そしてほどなくして訪れるであろう解放の瞬間に全身が悦び震えていた。
もはや彼女にこうして見下ろされているだけでも射精してしまいそうだった。

「僕の、ここ……。踏んで、ほしいです……っ」
「ここって、どこの事かしら」
「おちんちん……ッ! 僕のおちんちん、いっぱい踏んで……!」

それは懇願というよりも、悲鳴に近かったかもしれない。
与えて欲しくて、解放されたくて、感じたくて仕方がなかったのだ。生きている証、極上の快楽というものを。

「いいわよ。あなたの望み、叶えてあげる。たっぷりと味わいなさい!」

興奮に掠れた彼女の叫びと共に、本日何度目か分からないヒールの先が剥き出しとなった陰茎目掛けて叩きつけられる。

「――っ!」

心臓がより力強く脈打つと同時、フローリングの上で躍るように腰が跳ね上がった。

「ひっ、あ……っ! うああ……」

どくり、どくりと。腰が痙攣するたび、亀頭の先から信じられないほど色濃く大量の精液がはしたなく迸る。
まるで壊れた水鉄砲のように大袈裟な弧を描いて吹き上がるそれは子孫を残す為の子種というよりも、腹の奥底にてくすぶっていた煩悩の残滓に近い。
本来であれば繁殖する為の精子がその役目を放棄して、ただ快楽を体外へと押し出す飛沫へとなり下がったような敗北感が僕の全身を気怠く包んだが、しかし、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
むしろ、爽快感さえ伴って、妙にすっきりとした気分である。
まるで長年の閊えが取り除かれたような、無意識に探し求めていた境地へとようやく辿り着けたかのような、根拠のない充足だった。

「おやおや、本当に呑み込みの早いお方だ。初めての折檻でこれほどまでに濃ゆい精液を吐き出せるとは……。いやはや、自分の審美眼を信じて良かった」

僕の射精を見届けた男は弾むような口調で僕たちを、そして自身の仕事ぶりを絶賛しながら嬉しそうに両手を叩き、その悦びを露わにする。

「ああ、私もまた興奮してきてしまいました。涼子さん、今度は私の愚息にも折檻を施しては頂けないでしょうか。報酬は弾ませて頂きますよ。あなた方ご夫婦の望むだけ、ね」

瞬間、リビング内に万札の雨が降り注ぐ。どうやら男がその傍らに置いていたアタッシュケースの中身をぶちまけたらしい。
だが、僕にはもう金など必要なかった。恐らく、彼女も同様に。
何故なら僕たちはもはや、不埒な痛みと悦楽に心身を支配され、従来の幸福など忘れ去りつつあったのだから。

CV募集・台本配布用サーバー「餅子の書物庫」

2023年3月31をもちましてTwitterアカウントを削除する事となりました。
上記にあたり、専用ディスコ―ドサーバーを御用意致しましたので、宜しければ御参加下さい。
基本的にはきよみ餅が一方的に情報を発信するサーバーなので、緊急時を除き皆様が何かを書き込んだりする事は想定されておりません。

チャンネル案内

#CV募集

シチュエーションボイスやラジオドラマ等のCV募集告知チャンネルとなります。
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チャンネル内記載のクレジットがない場合、利用停止を求める場合もありますのでご注意ください。
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個人的な内容や、当サーバーの趣旨から外れる質問に関しては削除対応致しますのでご注意ください。
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下記招待リンクから参加をお願い致します。
尚、招待期間は無期限に設定しているのですが、勝手にリンクが期限付きに変更されてしまう場合があるようなのでリンクURLは定期的に更新される可能性があります。御了承下さい。
▶️ https://discord.gg/XnkxuJaaju

フレンド申請について

DMに関しては「きよみ餅#5923」宛てにフレンド申請の後、送信をお願い致します。
但し、以下の内容は受け付けておりません。

①個人的な内容のDM
②配信の感想
③緊急性のない内容

基本的にDMは緊急性のある内容、もしくはきよみ餅側から連絡手段をDMに指定している場合のみでお願い致します。

幼馴染の押しかけ女房が俺の家で勝手に料理を作っているんだが?

※当台本はフリー台本ではありません。依頼者様以外の使用は厳禁です。

げ、なんでお前が居るんだよ!?
ここ、俺んちなんだけど……。って、うわあ……。また勝手に料理作ってるのかよ。
八宝菜に酢豚、天津飯麻婆丼……。なんなんだ、その組み合わせは?
八宝菜と酢豚は肉料理で被ってるし、天津飯麻婆丼だって丼物じゃねえかよ!
こんなの、俺ひとりで全部食えるワケないだろ?
なあにが妻の務めだ!お前はただの幼馴染だろ。結婚した覚えも、それどころか付き合った覚えすらねえぞ。
そもそもお前、料理ヘタクソだし……。ってことで、見なかった事にする。俺は他所で晩飯食ってくるから、じゃあな。
……いや、頑張って作ったとか言われてもだな。全力で料理に取り組んでも不味かったら意味ねえだろうが。
そもそもお前、ちゃんと味見してるか?メシマズってのはなァ、大体味見を疎かにしてる場合があるんだよ。
今回はちゃんと味見してるって?へえ、今回は……ね。馬鹿、毎回しとけっつーの!
愛情は込めただあ?そんなモンで飯が美味くなるなら苦労はしないんだよ、ったく。
わかった、わかった!食えばいいんだろ、食えば!
とりあえず、まずは八宝菜からいくか……。
ん、ぐ……。ンン、う……。
うえ、なんだこれ。野菜のエグみがハンパない……!タケノコは中まで火が明らかに通ってなくて硬いし、片栗粉だって溶けずに塊で残ってるじゃねえかよ……。
酢豚もいやに酸っぱいんだよな。どんだけの量、酢を入れたんだか。うっ、なんだか胸焼けがしてきた……。
おい、期待を裏切らない不味さだったぞ。お前、本当に味見したのか?もう一回、ちゃんと食ってみろよ。
はあ?なんで俺がお前に食わせてやらなきゃならないんだよ。自分で食え!お前が作った料理だろうが。
ああもう、わかった!わかったから!!!
……折角だから、このほぼナマ状態のタケノコと片栗粉の塊部分を食わせてやろう。
ほら、口開けろ。どうだ?不味いだろ?え?そんな事ないだって?
……お前の作る料理が下手くそな理由がよーく分かった。味覚が狂ってる。馬鹿舌ってやつだな。いや、味付けの好みの問題とかじゃねえよ。
俺の好み?そうだな……。ん?玉子焼きの味付け?ん〜、しょっぱい方が好きだな。目玉焼き?それはもう醤油一択だろ。なに?卵かけご飯?それも醤油一択……って!全部玉子料理じゃねえか!お前、俺にどんだけ玉子食わせる気だァ?
天津飯も食ってみろだって?見た目はまあ、八宝菜とか酢豚よかマシに見えるけど……。
あ?食べさせてやるから口開けろ?ったく、お前もしかして、美味い料理作るのが目的じゃなくて、俺にそうやって自分の手で餌付けするのが楽しいだけじゃねえのか?
……はいはい。わかったわかった。あー……う、ん〜……。
ン、天津飯は意外とイケるな。これは一応、そうだな。美味いって言えるかな。
つくづく、お前の感覚がわからねえよ……。八宝菜と酢豚をこれだけ不味く作るやつが、どうして天津飯だけうまいこと出来るんだか。どんなセンスしてるんだ。
なんだよ、今度は麻婆豆腐を食えって?
ああもう、急かすなって!あー……う、ンン……ンンンン!!!!ぐはっ、ごほごほ……っ。
かっっっっら!!!!どんだけ唐辛子突っ込んだんだ!?
いや、確かに辛いのは好きだけど限度ってモンがあるだろ?
うえ、舌どころか唇までピリピリしてきた……。粘膜という粘膜が痛い……!
くそ、お前も食ってみろよ。ホラ、俺が食べさせてやるから口開けろ。
……どうだ?辛いだろ?え、丁度いい?
やっぱりお前の舌、どうにかしてるよ……。
はあ、頼むから今度メシ作る時はちゃんと誰かに正規の手順を習ってからにしろよな。
……駄目だ、こいつ。全然人の話なんか聞いちゃいねえ。
こら、抱きつくな!っていうか、天津飯以外の飯はお前が一人でちゃんと全部片付けとけよ?
はあ、これから俺の胃袋はどうなっちまうんだろ……。

呪術師×人魚姫の悲恋物

SCENE 1

ナレーター:むかしむかし、あるところに、人間の王子に恋をしてしまった可哀想な人魚がいました。彼女は美しい声と引き換えに人間と全く同じ二本の脚を手に入れ、純粋なその心を占める王子のもとへと向かったのですが、彼女の想いは報われず、悲しみに半ば張り裂けた胸を抱えたまま海へとその身を投げ、やがて泡となり消えてしまったのです。しかし、哀しみの海へ沈んでいったのは彼女だけではなかったことを皆さんはご存知でしょうか。人魚が身を投げたほの暗い海の底、泡になった彼女を見上げながらその身を嫉妬の灰に焦がした青年がいたことを――。

SCENE 2

深海を泳ぐ魚が立てる波音

ナレーター:人魚も深海魚も滅多には近づくことはないほの暗い海底の城。そこには人間と同じ手足を持ちながらも皮膚の所々に漆黒の鱗の欠片を持つ水棲人の呪術師が住んでいた。他人を陥れるための呪術を習いに来るもの、実力以上の力を得るために秘薬を欲するものなど、己の欲望に溺れ堕落の道を選んだ卑しい人魚たちだけが訪れるこの場所に、どうしてだか今日は妬みや支配などの心を一切持ち合わせてはいないだろう一人の純粋な人魚が珍しく訪れていたのだった。

呪術師:人間になりたいだって?

人魚:ええ。どうしても二本足が必要なの。あの人に振り向いてもらうためには人魚のままではダメなのよ

呪術師:(戸惑ったような唸り。考えた末、思いつめた様子で口を開き)わかった。三日後、またここに来なさい。人間になれる薬を渡そう

人魚:(歓喜の声を思わず漏らす)

呪術師:(複雑な心境で吐息を漏らし)

ナレーター:途端に眩いほどの輝きを放った彼女の笑顔を、呪術師は恐らく一生忘れることはないだろう。彼女が心の奥底から人間に生まれ変わることを望み、王子との再会を焦がれるほど呪術師はその笑顔を腹の中で腐らせる。なぜなら、呪術師は彼女に恋をしていたからだ。

深海を泳ぐ魚が立てる波音~フェードアウト

SCENE 3

ナレーター:どうすれば彼女の心を海底へ取り戻すことが出来るのか。どうすれば地上を二本足で歩く人間の男を忘れさせることが出来るのだろうか。悩みぬいた挙句に呪術師が作り出した薬は、邪な思いと身勝手な感情に満ち溢れていた。その薬には三つの呪いがかけられていたのだ。一つは、脚と引き換えに人魚は声を失い人間との意思疎通は一切かなわなくなってしまうというもの。もう一つは、一歩踏み出すたびに二本足は針を刺したような痛みに襲われるというもの。そして最後は、王子の心を彼女が射止められなかった場合、彼女の身体は泡となり海へ消えていくというものだった。

呪術師:これを飲めば鱗は剥がれ落ち、人間と同じ脚がたちまち生えてくる。しかし、君はその脚と引き換えに声を失うこととなる。万が一、恋が破れるようなことがあればその命までもを消し去るだろう

人魚:(一瞬怯んだように息を詰めるが、心を奮い立たせ)あの人に逢えるのなら、声を失ったとしても後悔しません

呪術師:(人魚の発言の思わず驚いて息を呑み)正気か。声がなければ自分が命の恩人だと男に伝える術はない。それに、あの男と結ばれなかったら君は泡になり人魚にも人間にも戻れないんだぞ。そこまでして、何故、人間の男を……

人魚:(半ば呪術師の言葉尻を遮るようにして)あの人と結ばれない生涯など、私には必要ありません。例え命を失くしたとしても、あの人に逢えたら私は幸せ……どうか、その薬を私にください

呪術師:(落胆したような吐息)

ナレーター:あんなにも恋焦がれた彼女を引き止める力を持たぬ自分の非力さを呪術師は呪ったが、しかし、呪われた薬を手にして涙ぐみながら微笑み歓喜する彼女を一体、誰が止められたのだろう。コバルトブルーの美しい瞳には、既に人間の男しか見えていない。どんなに呪術師が訴えかけたところで、死を覚悟した彼女の耳に届くはずもなく、それは呪術師が密かに抱き続けていた恋の終わりを証明していた。そして、運命の瞬間はやってくる。

SCENE 4

ナレーター:声が出せぬもどかしさにも、一歩踏み出すたびに痛む両足の枷にも彼女の決心と恋心を打ち砕くことは出来なかったようだ。痛々しい彼女の姿を見た姉たちが魔術師の元を訪れ呪いを解く方法を教えてくれと訴えてきたのは、あの薬を手渡してから一週間後のことだった。もちろん、呪いを解く術も用意されていたが、やはりそこには呪術師が抱く邪な横恋慕が息を潜め、今か今かと力が解き放たれるのを待っていたのである。彼女が命を繋ぎ止める方法は、ただ一つ。呪術師の作り上げた宝剣でその心を奪った男の心臓をひと突きにすること。男の死か、彼女の消滅か。宝剣を手にした姉たちは早速人間に姿を変えた可哀想な人魚の元へ訪れたが、数日後に呪術師が海底から見たものは、泡となりエメラルドの海へと消えていく彼女の姿だった。

ガラスの割れる音 

呪術師:こんなもの……こんなもの、こんなもの……ッ(初めは感情的に、徐々に涙ぐみながら)

ナレーター:結局のところ、呪術師は束縛するつもりが彼女を永遠の無へと還してしまったのだ。人魚としての幸せも、人間としての幸せも手に入れる事が出来なかった彼女は、その身を海へ投げ出す瞬間に何を思ったのだろう。呪われた薬を作り上げた呪術師を恨んだのだろうか。いや、違う。泡となり消えるその瞬間まで、結ばれる事はなかった己の哀しい恋の結末と、命と引き換えに愛する男を胸を痛めながらも想い続けたに違いない。苦悩の末に猛毒を差し出した呪術師の想いを知ることもないまま、ただ、叶わぬ恋の結末を小さな身体全身に受け止めて。彼女は、本当に幸せだったのだろうか。

波音

SCENE 5

ナレーター:むかしむかし、あるところに。人間の王子に恋をしてしまった可哀想な人魚がいました。王子は命の恩人が目の前で口を閉ざし優しく微笑む少女だとは気付かぬまま、悪戯な偶然が重なったその結果、ほかの少女と結ばれてしまったため、人魚は王子と結ばれることはありませんでした。それでも、自分が真の恩人だと気づけずにいた王子を恨むことも、呪術師の作り出した薬を恨むこともなく、数百年後にその魂は深海の底から救い出され空へと還り、天上からいつまでも王子の幸福を見守り続けたのです。そんな彼女に思い焦がれ続けた呪術師は、今もなお海底の城でひっそりとした暮らしを続けていました。何十年も、何百年も、自ら編み出した秘薬により姿を消してしまった彼女の幻影を瞼の裏に蘇らせては涙に暮れ、他の少女と結ばれてしまった王子、そして自らの呪いを憎みながらいつまでも嘆き続けました。それからまた、数百年の時が経ったある日のこと。泡となり消え去ったはずの彼女に瓜二つな人間を難破船から呪術師が救い出したことにより新たな恋物語が幕を開けました。今度は呪術師が秘薬を飲み干し皮膚の鱗を取り払うと、その命と引き換えに彼女との再会を果たすことになるのですが――・・・一体、彼がどんな結末を迎えたのか。それは、またの機会にお話しましょう。

稲荷ゆず、ゆらの回想録

中村郷の藤吉郎

「ゆず、早くいらっしゃい! チンタラやってたら見つかるわよっ」
「待ってよ、ゆら。道がぬかるんでて歩きづらいよお!」

大雨の降りしきる中、ぬかるんだ畑を横切る小さな影が二つ。
もはや人の手入れすら満足に行き届かない寂れた稲荷神社をねぐらに暮らすその二人は、幼き妖狐の姉妹であった。

「ほら、そこに大根の葉が見えるでしょ。片っ端から引っこ抜くのよ」

そう語気を荒げたのは、姉のゆら。

「うん、わかった! うんしょ、よいしょ……」

命じられるまま、しっとりと濡れた泥の中から大根を引き抜こうと四苦八苦しているのが、妹のゆずである。
参拝者などほとんど姿を見せない神社で暮らすこの姉妹は、たびたび人里の畑から作物を拝借しては飢えをしのぐという侘しい生活を送り続けていた。
田畑を荒らす野狐の二人は里に住む者たちから当然のように蔑まれていた故、食料調達は人目のない夜半、もしくは豪雨の日に行うしかない。

「そこで何をしている?」

だが、この日は運悪く畑の様子を見に来ていたらしい青年に盗みの現場を見られてしまった。
唐突に声を掛けられ、ゆらは大根の引き抜きに苦労しているゆずの姿を自らの背後へ隠すように男の前へ立ち塞がると、大きな眼でキッと威嚇するような視線を向けた。

「悪いけど、大根は頂いていくからね。アンタたち人間が供物を持ってこないのが悪いのよ!」

しかし、男は動じない。それどころか、二人の行いを咎めることなく清々しいまでの笑みをその顔に浮かべてみせると、

「手伝うよ」

あろうことか、ゆずに代わって次々と大根を引き抜き始めたのだ。

「すごいすごい!」

次々と泥の中から抜き出される大根を男の手から受け取りつつ、ゆずがはしゃいだ声をあげる。

「まさか、アンタも野菜泥棒?」

畑の主であれば、ゆらたちの行いを見逃してくれるはずがない。
だが、この男も畑を荒らしに来た同族であれば話は別だ。二人に手を貸す代わり、こちらの盗みも他言するなという事だろうか。
しかし、またしてもゆらの予想は裏切られる事となる。
男の名は、木下藤吉郎。のちに彼が天下人となり歴史にその名を刻む未来を、ゆらたちは――否、藤吉郎当人とて、知る由もなかった。

ねねとの祝言

「秀吉!」
「おねね!」

二人が駆け寄ると、婚儀にしては随分と質素な衣装に身を包んだ男女がこちらを振り返り、揃って穏やかな微笑を浮かべた。

「ちょっと、なによここ。折角の祝言だっていうのに……」

質素であったのは、二人が纏った衣装だけの話ではなかった。
秀吉たちの元を訪れる前、婚儀の会場を少しばかり覗いてみたのだが、藁と薄縁(うすべり)が敷かれているのみで華美な装飾はどこにも見当たらず、これではねねがあまりにも不憫だとゆらは憤りを覚えていた。

「秀吉、ねねが可哀想じゃないの!」

まったく甲斐性のない男だとゆらが苦言を呈すと、飛びついてきたゆずをあやしつつ秀吉はその顔に苦笑を浮かべた。

「……面目ない」
「いいのよ、ゆら。これは私が望んだことなんだから」


言い訳さえ口にすることのない男に代わり、機嫌を損ねているゆらの前髪を、ねねが宥めるようにしてそっと梳き下ろす。

「私はこの人と一緒になれるだけで幸せよ。綺麗な着物も、豪華なお城も必要ないわ」
「……ふうん。秀吉のこと、よっぽど好きなのね」

勿論、彼が心優しい人間であるということはゆらたちも承知している。
畑を荒らす不届き者を追い払うどころかありったけの作物を与え、その後も油揚げや米などを自らの足で稲荷神社まで定期的に届けに来るお人よしなのだ。
そんな秀吉の甲斐甲斐しさに惹かれる者も多い事だろう。しかし、現時点では信長の草履取りでしかない秀吉と、浅野家養女のねねでは身分が釣り合わない。
故に婚儀がここまで質素に執り行われているのであろうが、ねねに不満はないのかとゆらが訝しむのも当然の事だった。

「わたしも秀吉だいすき!」

ねねの惚気に同調するかの如く、ゆずが無邪気にそう宣言する。
それを隣で聞いていたねねもまた、心の底から幸福そうな笑みを浮かべて大きく頷いた。
「そうね、みんな優しいこの人のことが大好きなのよ。ゆらもそうでしょう?」
秀吉当人の前で図星を突かれ、ゆらの頬が思わず赤らんでしまう。
気恥ずかしさを隠すように仏頂面を浮かべてみせたが、それはただの悪あがきにしかならなかった。

「ふん、優しいだけじゃ武士としてやっていけないわよ。必ず功をあげてねねに贅沢をさせてあげなさい!」
「わかった、約束する」

ほどなくして、交わした約束は果たされる事となる。
第六天魔王と恐れられた信長ですら取り逃してしまった天下を、彼は泥だらけの大根をゆらたちと共に引き抜いていたその手でつかみ取ったのであった。

醍醐の花見

「わあ、綺麗!」

咲き乱れる桜を見上げ、ゆずは思わず感嘆の息を零す。
前田利家に伴われ、ゆずとゆらは京の醍醐寺を訪れていた。
なんでもこの日の為に秀吉は、七百本もの桜を植樹したと聞く。
空を覆い隠さんばかりの花の下(もと)、頬張る団子は絶品だ。

「招待客は女ばかりなのね」

団子にうつつを抜かすゆずの隣で、ゆらが茶を啜りながら呆れたようにそう零す。

「ホントだ、利家様しか男の人がいない! どうしてだろ?」
「……今日は女房女中衆の為の会なんだ」

苦し紛れな利家の返答に、ゆらは納得がいかない様子であるが、他人の言葉をすべて鵜呑みにするゆずはというと、それ以上の疑問は持たなかったらしい。

「みんな楽しそうだね、秀吉も元気そうでよかった」

無邪気にゆずはそう漏らしたが、利家はその表情に微かな悲哀を滲ませ、言葉を一瞬詰まらせる。
ここのところ秀吉の容態は安定を保っているのだが、長くは持たぬという見立ては変わらず、覆ることがない。

「ねえ、利家様。秀吉やおねねとお話をしに行ってもいい?」
「そうだな、行っておいで」

二人が秀吉と顔を合わせる最後の機会かもしれないと、利家はゆずの提案を受け入れ、二人をその腕に抱えて秀吉の元へと歩き出した。



「秀吉、お団子おいしかったよ!」

ゆずに笑顔を向けられ、秀吉は皴の刻まれたその顔を微かではあるが綻ばせた。

「ちょっと、秀吉。しばらく見ないうちに随分と老け込んじゃって……。だらしがないわよ! そんな調子じゃ、ねねが不安がるじゃない」

ゆらの口から飛ばされた檄も、どこか楽し気に受け止めている様子である。
だが、弱り切った男が幸福の表情を浮かべる度に胸を締め付けられ、居た堪れないと利家は思わず視線を伏せた。

「来世はお前たちのような物の怪に生まれ変わるとしよう。そうだな――やはり猿がよいか」

遺言のような秀吉の言葉に、利家の目頭が熱くなる。

「秀吉は猿の妖怪になりたいの?」

猿と化した秀吉の姿を想像したのだろう、ゆずは腹を抱えてケタケタと楽し気に笑い転げていたが、

「……馬鹿、縁起でもないこと言うんじゃないわよ」
「ゆら、どうしたの?」

他人に弱みを見せる事をなによりも嫌うゆらの双眸に、今にも溢れ出しそうなほどの涙が浮かべられているのを見つけたゆずはよほど驚いたのか、手にした団子をその場に放り出してしまった。

「なんで泣くの? お花見、楽しくない? それともお腹痛いの?」
「違うわよっ! ぜんぶぜんぶ、秀吉のせいなんだから……!」

八つ当たりのような叫びは舞い散る桜の花弁と共に、京の都を吹き抜けていく。
そして桃色の散華が眩しい新緑へと姿を変えたとある夏の日。
羽柴秀吉は、その生涯に幕を閉じたのであった。

孤独に還る

豊臣が、滅亡した。
北政所の元へ身を寄せていたゆずとゆらはその後、高台院屋敷を抜け出し、生まれ故郷である尾張中村へと帰還。
いつかと同じように寂れた稲荷神社にて身を寄せ合い、人目を盗んでは畑の野菜を拝借するという生活を送っていた。
だが、当時と決定的に違う事がある。
秀吉らと共に暮らす事で様々な人情に触れたゆずが、人肌を欲するようになってしまったのだ。

「……ねえ、ゆら。おねねの所に帰ろうよ」

小雨の降る中、境内の片隅で膝を抱えながらゆずが心細げに呟いた。
だが、ゆらは決して首を縦に振ろうとはしない。
勿論、ねねの元を離れることを寂しく思っていたし、京へとたった一人残された彼女の事が気がかりではあったものの――。
それ以上にゆらは、人の死に目に逢う事が怖くなっていたのだ。
自分たちのような妖狐と違い、人間の命は短く儚い。
その上、戦が長く続いた為に若くして戦場にて命を落とす者も多かった。
訃報が齎されるたび、胸に抱えた思い出ごと抉り出されるような痛みを覚え、やがてゆらはその苦痛に耐えられなくなってしまったのだ。

「私たちはもう、人間には関わらない。関わっちゃいけないの」

涙ぐんでいる事を悟らせまいと、冷たく突き放すような口調で言い放つ。
それはゆずに語り掛けた言葉というよりも、自身に言い聞かせたと形容するベきだったのかもしれない。
今日と同じような雨の日に触れた、秀吉の優しさが懐かしかった。
そして贅沢にも願ってしまうのだ、もう一度あのぬくもりに触れたいと。
しかし、今は亡き人間の体温を求めるなどあまりにも不毛である。
恋しいと嘆けば嘆くほど、寂しさは募ってやがては心を引き裂くのだ。
故に、もう二度と求めるべきではない。

「人間なんて嫌いよ。弱くて無責任で、すぐに居なくなっちゃうんだもの」

強がりを吐き出したゆらはそのまま抱えた膝に顔を埋めると、孤独から逃れるように目を閉じ、一刻も早く夢の中へ溺れてしまえと半ば強引に意識を眠りの中へと沈めたのであった。



翌日の朝、雨はすっかりと止んでいた。
鬱蒼と生い茂る木々の隙間から差し込む眩しい陽の光に導かれ、意識が覚醒する。

「ゆら、これ見て!」

目覚めて間もなく、隣でゆずが大声をあげた。
屋敷を抜け出してから長らく耳にしていなかった楽しげにはしゃいだその声音に、一体なにごとかと眉根を顰めつつゆらは膝を抱えたままチラリとそちらを一瞥する。
途端、視界に飛び込んできたものに思わず目を見張ってしまった。

「起きたらね、足元に置いてあったの!」

言いながらゆずがその腕に抱えていたもの――。
それは、泥だらけの大根だった。

「きっと秀吉が届けてくれたんだよ。ほら、こんなにいっぱい!」

そんなはずはない。彼は、数年前に死んでしまったのだから。
だが、咄嗟に発しようとした否定の言葉は喉の奥に引っかかったまま、ゆらの口から発せられることなく涙と共に胸の奥へと呑み込まれてしまった。

「……ッ、秀吉のばか……!」

かろうじて零れたのは、精一杯の悪態ただ一つ。
こみ上げる感情は今にも溢れかえりそうなのに、ゆらはそれ以上の言葉を紡ぐことが出来なくなってしまう。
孤独に還った自分たちを哀れんだ亡霊の仕業か、それとも醍醐の花見にて宣言した通り転生を果たした猿の仕業か。

「ゆら、泣かないで」

大根を抱えたまま伸ばした掌で、ゆずが泣き崩れるゆらの髪を柔らかく撫で上げる。

「寂しがらなくても大丈夫だよ。秀吉も、利家様も、光成も……みんなみんな死んじゃったけど、楽しかったこと覚えてるもん」

忘れない限り、彼らは自分たちの傍に居続けるのだとゆずは笑い、腕に抱えた大根のうち一本をゆらへと手渡した。

「早く洗って食べよう!」
「……うん」

頬を伝う涙も拭わぬまま、ゆらはそれを受け取りゆっくりと立ち上がる。
あれから何十年の時が過ぎただろう。
しかし、秀吉と初めて出会った雨の日のこと、そして人目を盗みながら共に収穫した野菜の味を、ゆらは一度たりとも忘れたことはない。
覚えている限り、彼らは本当に寄り添い続けてくれるだろうか。
木々の隙間から覗く晴天を見上げつつ、ゆらは未だ涙の滲む大きな瞳を眇め、ふと思う。
――否、事の真偽などこの際、どちらでも良かった。
思い出が心の拠り所で在り続ける限り、きっと秀吉は黄泉から自分たちを慰め続けてくれるのだろう。

不知火灯香の回想録

桶狭間の戦い

「なにか、近づいてくる……」

吐き掃除の手を止め、灯香(とうか)は背後をふと振り返る。
清々しくも静謐な時が流れる熱田神宮の境内には到底相容れぬ強大な力が近づく気配を感じ、思わず眉根を顰めてしまう。
ほどなくして、小気味よい蹄の音が耳に届いた。

「あれは……」

鳥居の向こう側から現れたのは、戦支度を整えた男である。
小姓衆を従え、馬上にて悠然と手綱を握るその姿は表情こそ微笑を浮かべていたものの、仁王像に負けず劣らずの殺気と威圧を無遠慮に撒き散らしていた。

「そこの巫女、祈祷を頼む」

雷鳴の如く轟く低音に命じられ、灯香は知らず竹箒を握る指先に力を込めてしまう。
どのような怨霊を目の前にしても決して動じた経験のない灯香が、現世に生きるごくごく普通の人間にここまでの畏怖を覚えたのは生まれて初めての事だった。

「貴方の望みは……」

尋ねると、男は怖気を誘うような不敵の笑みを浮かべてみせる。

「我に、勝利を」
「戦勝祈願、ですか……」

目の前の男が、一体どこの戦場へと赴くのか。
尋ねずとも、現情勢を覆しかねないほど大きな戦いであることは容易に想像がつく。

「わかりました。では、こちらへ……」

――自らの祈りによって、世が覆ってしまうかもしれない。
そんな不吉な妄想に囚われながらも灯香は男たちを境内の奥へ誘うと、のちに第六天魔王と世に恐れられる事となる男の為に祈りを捧げたのであった。

萵苣の回想録

明智城襲撃

敗北に打ちひしがれている時間など、今の萵苣たちには残されていなかった。
落城は避けられぬと明智家の未来を光秀に託し、光安らが腹を斬ったのはつい先刻のこと。彼らを弔う暇さえ与えられぬまま、萵苣(ちしゃ)は光秀と共に瀬田長山を駆け下りていた。

「くそっ、次から次へと……!」

萵苣は手にした双剣で立ちはだかる敵兵を次々と薙ぎ払い、文字通り退路を切り開き続ける。
しかし、こちらが敗北を確信したように、相手方もまた勝利を確信していた為、彼らの士気は萵苣たちの心をへし折らんばかりに高い。

「光秀、麓までそう遠くはない。一気に行くぞ」

襲い来る敵兵の喉を裂きつつ、萵苣は獣じみた身のこなしで竪堀を滑り落ちるように駆け抜けていく。
後に続く光秀は必死の形相でなりふり構わず懸命に手足をただ振り続け、促されるまま前進するのみである。
生への執着だけが今、彼の心身を突き動かし、明智光秀という存在のすべてを支配していたのだ。

「死んでたまるものか……」

萵苣に続き、半ば転がるように滑落しながら光秀が唸る。

「俺は生き延びるぞ、萵苣」

敵の手に落ちた城を背に逃亡を続ける憐れな姿には似合わぬ気迫の込められたその言葉に、萵苣の両耳がぴくりと疼く。
生真面目でありながらもその心に滾るような野心を秘めた彼の性分が、萵苣は昔から気に入っていた。
静謐さの中に潜む激情の熱に魅せられて以来、なにがあっても光秀についていくと決めたのだ。

「……ああ。アンタは、こんな所で死ぬような男じゃない」

木の葉に沈みかけていた光秀の身体を抱き起してやりながら、萵苣は小さく微笑んだ。
追手の姿はもう見当たらない。まずは落城を優先と踏み、追跡の手を緩めたのだろう。

「例えなにを奪われようとも、俺たちは生き延びる。そうだろう、光秀」

生きてさえいれば、いつの日か光明が差す。
無様な姿を曝そうが、誹りを受けようが、命がなければ意味がない。
死人には、なにを見ることも聞くことも出来ないのだから。
萵苣は滴る鮮血も拭わぬまま手にした双剣を腰の鞘に納めると、半ば膝の力を失いつつある光秀をその肩に担ぎ直し、生き延びる為の退路をひたすらに歩み続けたのであった。

比叡山焼き討ち

空を茜に染め上げたのは、朝陽ではなく紅蓮の炎であった。
なにもかもを呑み込みながら、それは踊り狂い燃え広がっていく。
人々の悲鳴も、生命も、信仰心さえも灰となり、焼き尽くされる様はあまりにも無情だ。

「魔王は容赦がないな。それが魔王たる所以、か……」

萵苣が苦々しく吐き捨てる隣で光秀はというと、冷めた瞳に紅蓮を映し、無感情に戦況をただ眺めている。
人一倍の野心と情熱をその胸に秘め、時には手段を選ばぬ冷淡さを持つ光秀であったが、第六天魔王の異名を持つ信長の所業は狡猾な男をも閉口させるほどに容赦がなく、徹底的だった。
此度の焼き討ちにはさすがの光秀も苦言を呈したらしいが、それを素直に聞き入れるような男であれば彼がここまでのし上がる事もなかっただろう。
天下をその手にしようと目論む男の意志は、己の身を滅ぼすその日まで揺らぐことなどない。

「光秀、そろそろ本陣に戻るぞ。俺たちの任務はもう済んだ」

こんな景色をいつまでも眺めていては心に毒だと萵苣が声を掛けると、光秀の双眸が僅かに揺らいだ後、こちらをゆっくりと見下ろした。

「……この炎が鎮まる事はないだろう」

むしろ、我らが主君は日ノ本を支配で焼き尽くそうとしているのだ。
虚ろな声音でそう囁く光秀はもしかすると、信長という男に失望したのだろうか。
が、しかし。次の瞬間、彼が浮かべた表情はまるで求め続けた答えに巡り会えたような清々しさに満ちていた。

「……お前、一体なにを考えている。返答次第では叩っ斬るぞ」

魔王の瘴気にでもあてられたのかと問えば、光秀は否定も肯定も示す事はなく、目の前の惨状に似つかわしくない穏やかな微笑を一つ零すのみである。
何かを悟ったような表情に妙な予感と胸騒ぎを覚えた萵苣であったが、その正体を長らく掴めないまま時は過ぎ――。
天正十年、六月二日。
光秀は比叡山を焼き尽くした炎と同じ紅蓮の矢を、今度は自らの主君目掛けて放ったのである。

本能寺の変

見上げた天空には未だ星々が幾つも瞬いていたものの、夜明けが間もなく訪れるであろうことを肌で悟った萵苣は腰を上げ、一晩のうちにすっかり凝り固まってしまった体の節々をほぐすように大きく伸びをした。
本来であれば萵苣は光秀と共に明智の軍勢として毛利と交戦中の羽柴軍と合流する予定でいたのだが、信長の護衛を命じられた萵苣は明智軍を離れ、京の本能寺に滞在中であった。

「光秀め、一体なにを考えているのか……」

戦のたび、一番太刀として戦果を挙げてきた萵苣が本隊から外れるなど、前例のない采配だ。
自らの能力に自惚れているわけでは決してなかったが、それでも人間同士の戦において獣の力を持つ萵苣が前線に居るのと居ないのとでは、戦況が大きく変わってくる。
光秀の策を迅速に実行する為には、萵苣の素早さが必要不可欠なのだ。特に今回は秀吉の援軍として出陣したのだから、獣の俊敏さが活きる戦であっただろう。
知略に優れた光秀のことだ、何か特別な事情があるに違いないと萵苣はたびたび己に言い聞かせてはいるのだが、腑に落ちない。
今度顔を合わせたときに必ず問い質してやろうと決意をしつつ、萵苣が本能寺内の巡回に出かけようと縁側から一歩踏み出した、そのときだった。
静寂をじわじわと切り裂くように、遠方から勝鬨の雄叫びが突如とどろく。

「なんだ……?」

ただ事ではないと瞬時に悟った萵苣は素早く駆け出すと、しなやかな身のこなしで本能寺の瓦屋根へとよじ登り、高所から目を凝らした。

「あれは……」

この本能寺を目指しているのだろう、松明の行列がまず萵苣の瞳に飛び込んだ。
そして無数の灯りに照らされて浮かび上がる桔梗の旗――。
あれは、明智の軍勢だ。
毛利の軍勢はどうなった、羽柴軍は無事なのか。
状況が呑み込めず、萵苣はしばらく屋根の上からその不可解な光景を唖然と眺めていたのだが、桔梗紋の群れが明らかな殺意を持って本能寺内へなだれ込んだ事をきっかけに、ようやく光秀の真意を悟る。

「敵は、本能寺にあり!」

これは、謀反だ。

「あいつ……!」

怒りが瞬時に沸騰し、全身が燃えるような熱を持つ。
あの男は、主君を裏切る為に萵苣を自分から遠ざけたのだ。

「やらせるものか、決して……!」

怒りの衝動のまま、萵苣は瓦屋根から縁側へ飛び降りると、恐らく事態をいち早く信長へ報告するために駆けてきたのだろう、森蘭丸の背中を捕まえた。

「光秀の姿は見たか? 奴はどこにいる」

光秀の右腕といっても過言ではない立場の萵苣である、お前も謀反に加担しているのだろうと責められるかと危惧したが、殺気に満ち溢れた双眸と苛立つ口調で光秀の居場所を問い詰める姿を見て萵苣もまた裏切られた側の人間である事を悟ったらしい。
蘭丸は神妙な面持ちのまま、首を横に振った。

「ですが、指揮を執っているのは間違いなく光秀殿かと」
「そうか……。俺は光秀を討ちに行く。信長様はお前に任せた」

用件を告げるや否や腰に納めた双剣を抜き取り、萵苣は再び風の如く駆け出した。



見覚えのある兵士たちの喉元を、躊躇なく掻き切りなぎ倒していく。
しかし、未だ光秀の姿は視界の端にも留まらない。彼の差し向けた軍勢はあまりにも数が多すぎた。

「貴様、今すぐ吐け! 光秀は今、何処にいる!」

手近な兵士の胸倉を掴み問い質したが、既にこと切れていたようで返事はない。

「くそっ、このままじゃ……!」

信長を光秀に討ち取らせる事となる。
それだけはあってなるものかと萵苣が舌を打った、その時だった。
どこからか火の手が上がり、本能寺は瞬く間に炎に包まれた。
明智の軍勢が放ったものか、それとも信長自身によるものか。それを確認する暇もないまま、萵苣は退却を余儀なくされる。
この手で光秀を切り裂いてやらないと気が収まらなかったのだが、あまりにも分が悪い。

「何故だ……。何故、こんなことを……!」

あの男は、主君と共に長年連れ添った萵苣をも業火で焼き払おうと企んだのであろうか。
燃え盛る炎に炙られて皮膚は酷く熱を帯びていたというのに、爪先から痛みを伴う程に冷たい何かが駆け上がって来る。
失望と悲哀が入り混じったその奇妙な感覚を、萵苣は二度と忘れることはないだろう。

山崎の戦い

本能寺炎上より二日後。
光秀謀反の一報を耳にした秀吉は急遽、毛利との和睦を締結。主の仇を討つべく、軍を京へと進めた。
炎上する本能寺からの逃走にどうにか成功した萵苣はその後、進軍中であった羽柴の軍勢と合流。
明智軍との激突が、まもなく始まろうとしていた。

「どうして光秀殿はお前を信長様の元へ置き去りにしたんだろうな」

大将らしかぬ呑気な口調で、馬上から秀吉が謳うように問いかけてきた。

「……主君殺しになど、俺が賛同するはずないと知っていたからだろう」

進行方向だけを見据えたまま、ぶっきらぼうに萵苣は吐き捨てる。
いつからあの男が謀反を目論んでいたのかは分からない。しかし、心当たりが一つある。
燃え盛る比叡山を見上げながら微笑んだ光秀の顔だ。
主がそうしたように、また光秀も紅蓮の炎で築き上げたすべてを焼き尽くし、なにもかもを手に入れようとしたのだろうか。
共に戦を切り抜けた萵苣との過去をも、ただの灰にして――。

「絶対に許すものか、あの男だけは……」

下唇を噛み、唸るように悪態をこぼす。
共に過ごした時を焼き捨てると言うならば、こちらも刃で立ち向かうまでである。
光秀の首は必ずこの手で落としてみせようと胸に誓いをたてたその時、馬上の秀吉が再び謳うように呑気な言葉を投げかけてきた。

「お前を裏切らせたくなかったんだろうな、光秀殿は」

裏切り者である光秀の肩を持つような言い草に萵苣は腹を立て、頭上の秀吉を思わずキッと睨み上げたのだが、当の秀吉はこちらの顔など見てもいない。

「なっ……」

それどころか、呑気な口調とは裏腹に彼が浮かべていた表情はというと、この先で待っているであろう、仇敵を射抜かんばかりの鋭い眼差しをただ前へと向けていた。

「そんな光秀殿の真意を知った上で、お前は忠義を貫けるか」

あの男は萵苣の為に、決別を選択した。
では、あの男の為に自分が出来ることはなにか。

「俺は……」

忠義に背き、かつての同胞として共に主へと抗うか。それとも彼の望んだ通り、裏切りを赦さぬ兵(つわもの)として立ち塞がるか。
答えは言うまでもなかった。
だが、しかし。胸の内からせりあがる何かが邪魔をして決断を口にする事が出来ない。
それが涙だと知った時、萵苣は愕然とした。
自分は、光秀との決別がこれほどまでに惜しいのか、と。

「……俺は、決して主君を裏切らない」

焼けつく喉から言葉を絞り出し、ようやく萵苣は答えを提示する。
秀吉は、なにも言わなかった。ただ前を見据えたまま、口端で僅かに微笑みを表し、無言のまま萵苣の決断をただ受け入れたのであった。



萵苣が謀反を起こした光秀と遂に再会を果たしたのは、羽柴と明智の軍勢が戦いを繰り広げた山崎ではなく、本能寺であった。
坂本城を目指し落ち延びる最中(さなか)、小栗栖の藪にて落ち武者狩りの襲撃を受けた光秀はあえなく自害――そしてその首は織田信孝の元へと届けられ、信長が命を落とした場所へと仇討(あだうち)の証として持ち込まれたというわけである。
他の明智の軍勢と共に晒し上げられたそれを見上げる萵苣の想いはというと、寂寞の一言であった。

「馬鹿な男だ、お前は。俺に情けをかける余地が残っていたのなら、謀反なんて馬鹿げていると考え直す時間もあっただろう」

彼が最期に遺したそれは憐れみか、それとも優しさだったのだろうか。

「なあ、光秀――」

謀反の直前、お前はどんな未来を望み、理想を描いていたのか。
苦悶に歪む晒し首に向かって問いかけてはみたものの、返答が紡がれる事はなかった。