変態医師×研修医

「あの……。長谷川先生」
「なァに、ゲンキくん?」
「そろそろ離れてもらえますかね……」

巡回の時間なんで、と付け足せば、オレの背中にへばりつき、あろうことか同じ男であるオレの身体を背後からあちこち撫でまわしていたセクハラ医師、長谷川誠は幼い表情を不満げに歪めながらも渋々といった様子ではあったがこちらの要求通り、ようやく身体を離した。
有村元揮、二十六歳。
今年の春から、大学へ入学する以前から勤務したいとかねてから希望していた都内最大規模であるこの病院の研修医になれたわけだが、実際のところ、緊迫した医療現場で働くよりも、このセクハラ医師である長谷川先生の魔の手から逃れる方が何倍も大変なワケでして。
本人曰く、地毛だというシナモンブラウンの柔らかな髪と、それに合わせたかのような色素の薄くて大きな瞳。極め付きはそんな大きい瞳に憂いの影を落とす長い睫毛。
そんな中性的かつあどけない容姿の持ち主である長谷川先生は信じられないことにオレよりも年上で、挙句今年の四月で三十路へ突入したというのだから驚かずにはいられない。
小児科医ゆえ、いつまでも若々しく、なおかつ親しみやすい容姿じゃないと患者の子供たちから怖がられてしまうからねと彼は己の童顔プラス女顔を悲観することなく、むしろ誇らしげといった様子で言いながら笑ってみせるが、同じ医師であるこちら側からしたら年齢不詳の小児科医ほど恐ろしい存在はないだろう……。
まあ、こんなこと口が裂けたって本人に言うつもりはないけれど。
とにかく、そんな先生にオレは何故だかひどく気に入られてしまい、毎日のように過激なスキンシップ通り越してセクハラを受け続け悩まされていたのだ。

「巡回なんて他の新人に頼んでさ、オレの面倒見てよ」

患者の子供たちに使うような猫撫で声よりも更に数倍甘ったるい声色でそう囁きながら、ようやく離れたと思った長谷川先生の掌は不埒な手つきで再びオレの内股を撫で始める。

「ちょっと……。先生も仕事残ってるでしょう。離してくださいっ」
「今日はぶっ続けで夜勤だし、書類仕事する時間なんて幾らでもあるから大丈夫」
「オレは先生と違って時間も余裕もないんです!」

十五年間バスケを続けたオレの身体は長谷川先生と違って華奢でもなければ中性的でもなく、それどころか真逆に位置する男臭いものなのに何をそんなに撫でまわしてニヤつくことがあるのか……。
それに、オレはこんなことをされるために小児科医としてこの病院で働いてるんじゃないっつーの!
別にフォローするわけじゃないけども、この長谷川先生は優秀な医師として色んな病院の小児科医界のカリスマともいえる存在なのだ。
小児科医とは、言うことを聞いてくれず注射など取り出そうものなら泣き喚き、そして自分の身体を蝕む病状を上手く説明出来ない子供たちを相手するゆえに、なかなか骨の折れる大変な仕事なのだが、先ほども言ったように、その年齢の割に若々しく中性的な容姿が幸いして子供たちは長谷川先生に対し警戒心をそれほど持たず注射だろうが何だろうがほぼ無抵抗のまま済ましてしまう。
他の医師相手では泣き叫び母親の腕にすがりつく子供たちでさえ彼の前では聞きわけよく接しているのだから感心せずにはいられない。
マセた女の子の患者は特にだ。
もちろん、オレも学生時代のころからそんな長谷川先生の話を耳にしていたから、ああ、どうせ小児科医になるのなら彼のような医者になりたいと穢れのない純真な気持ちを抱いていたのに、それなのにッ。
蓋を開けてみればただのド変態セクハラ医師。
そりゃ仕事はちゃんとしてるし、先生が同性愛者だろうが何だろうが他人の嗜好に口出しするつもりはないけれど、その気のないオレにいつまでもしつこく纏わりつくのはやめてくれ!

「ホラ、もう巡回の時間ですから」

そう言って先生の腕を振りほどこうとしたが、それよりも早く彼は右腕でオレの腰をガッチリと抱きとめて、空いた左手を内線へと伸ばし、
「あ、井原くん? そろそろ有坂くんが巡回の時間だったと思うんだけど、ちょっとコッチの仕事手伝ってもらうことになったから他のひと代わりに回しといてよ。じゃ、ヨロシクね」
なんとも自分勝手な要求をオレの了承ナシにナースステーションへ伝えてしまったのである。

「どういうことですが、先生! オレがいつまで経っても仕事覚えられなかったら先生の責任ですからね!」

憧れの先生相手とはいえ、ここまでされてしまってはオレも怒らずにはいられない。
しかし、当の本人はというと、憎たらしいほど愛嬌のある童顔にヘラヘラとした笑みを浮かべ、相変わらずオレの内股や腰を撫でくり回す手を止めようとはしない。

「大丈夫、仕事はオレがちゃーんと教えてあげるから。ね?」

言いながら先生はオレを、その華奢な見た目と反し、結構な強引さで誰もいない処置室へと引きずり込み、白いカーテンの先にある硬い寝台へと座らせた。

「子供に一番多い病気の症状って分かる?」
「……はァ?」

こんな場所で、二人きりで、まさか宣言通り仕事を教えるつもりなのかと一瞬拍子抜けしたが、間近に迫った彼の瞳から滲みだす熱っぽい欲情の影に気が付き、思わずオレは逃げるように腰を引く。
冗談じゃない。
こんな場所で、それも勤務中に貞操の危機を迎えるだなんて。
しかし、先生の腕は強引さを増してオレを寝台の上へ乗せてしまうとそのまま覆いかぶさり、あろうことか、白衣の下から覗くワイシャツの裾へと手を伸ばしてきたのだ。
もぐりこんできた彼の指先はオレの脇腹をくすぐるようにそっとなぞり、時折、意地悪く爪先で痛めつけるように引っ掻いてはその傷をいたわるように指の腹で柔らかく撫で上げる。

「腹痛が一番多いかな、やっぱ。そこで触診が必要になってくるわけだけど……」

語尾と同時に、先生の指先は脇腹を降下して、

「ちょ、どこ触って……」

腹痛の話をしてんのに、どうして下着を脱がす必要があるんだッ。
あれよあれよという間に下肢を晒されてしまったオレは、白衣の裾を引き必死に情けない己の下半身を隠そうとするけど、この変態医師ときたらそんな抵抗もろともせずにお構いナシときた。

「まずは優しく、指先で異常がないかを探る」

言いながら、萎縮するオレ自身を指の腹で優しくなぞるその手つきは明らかな下心からなるもので、耳の奥から鳴りっぱなしの警告音は勢いを増し全身を恐怖に硬直させた。
このセクハラ医師と押し問答を続けて早三ヶ月……。
とうとう貞操の危機にさらされてしまっていることは明白だ。

「ッ……せん、せ……」
「腫れだとか、しこりがあれば今度はそこを重点的に触診。その際、軽く押しながら患者の表情を窺うこと。触れたときに痛みが伴うのかどうかは重要だからね」

あくまで口調は触診方法を教える優秀な医師。
だが、しかし。それに反して指先は少しずつ頭をもたげ始めたオレ自身の先端を爪の先で強く押したり、かと思えば根元まで指先をスライドさせ焦らすような手つきで撫でおろしてみたりと実に卑猥だ。

「ココ、どんどん膨れ上がってくね。自分でも分かる?」

医師口調にほんの僅か混じる熱っぽく掠れた情欲。
耳元で湿った吐息と共に囁かれ、頭の先へ血が勢いよく上る。

「離して、ください……ッ」
「このままで、イイの?」

どうやらお医者さんごっこに飽きたのか、先ほどまでの触診指導口調はどこへやら、本気でオレをおとしにかかったらしい。
かといって、ここでほだされてしまえばもう逃げ場はない。
断らなければ、逃げなければと脳内の理性は大声で叫んでいたのに、それなのに……。

「こんな場所、こーんな状態のまま巡回なんて行ったら子供たち怖がるでしょ」
「はァ、っ……」
「それとも、奥様方に見せびらかしたいとか」
「嫌ッ、だ……」
「じゃあ、どうして欲しいの」

言ってみてよ、とオレの唇をなぞる指先に、知らず知らず引きずり出される煩悩の叫び。
冗談じゃない、こんな変態医師の好きなようにされてたまるかよ。
言うことを聞いちゃいけない、相手にしちゃいけない、負けるな、オレ……!

「……ゃ、だ……」
「ん?」
「このままじゃ、ッ……嫌だ……」

こんな変態に屈しないと決意した瞬間にこんなセリフで懇願してしまうとは、意外とオレの意思は弱いのかもしれないと内心、苦笑してしまう。
いや、笑ってる場合じゃないんだけどさ。
さて、そんなオレの言葉を耳にした途端、目の前の変態はといえば満足げに目を細めてみせると、あどけなかったはずの幼い表情に凶悪じみた笑みを貼り付け身を屈め、信じられない行動へと出た。

「ちょ、何して……!」

外気にさらされたオレ自身を何の躊躇もなく口内へと深く導き、ぬるついた粘膜と舌を使い絶頂へと追い立てる。
その瞬間、脳内で無意識のうちに再生された映像は、この病院へ医師として初勤務した日のこと。
まっさらな白衣と、左胸で揺れるネームプレートがなんだか照れ臭くて、そして目の前には学生の頃から憧れつづけた小児科医のスペシャリストである彼が優しく微笑んでいたっけ。
なのに、それなのに!

「ん、ハぁ……」
「……っ」
「ァ、んン……ああ……!」

期待に胸膨らませた新人医師であるオレを待ち受けていた現実は、憧れの医者からセクハラと辱めを受けてプライドも純粋な想いもブチ壊されるという残酷なものだったワケで。
堪えきれず、先生の口内へ白濁を吐き出しながら、オレは生まれて初めて津波のような凄まじい後悔に飲み込まれガラにもなくうっかり涙ぐんでしまったのである。



「最悪だ……」

濡れた剥き出しの下肢を、本来ならば消毒液を塗布するために使用する医療用ガーゼでふき取りながらオレがボヤけば、あろうことか目の前の変態医師は小首を傾げ「なにが?」とトボけてみせたのだ。

「何でこんなことしたんです? 悪ふざけにしては度が過ぎてるでしょう?」
「別に、悪ふざけなんかじゃないよ」
「じゃあ、どうして!」

悪ふざけじゃなければ何だ。新人潰しの嫌がらせか?
しかし、彼の答えはある意味、悪ふざけや嫌がらせよりも、ずっとたちの悪いものだった。

「本気なんだけど」
「はァ?」
「オレ、ゲンキくんのこと気に入っちゃったから」

ついつい手が出ちゃったんだよねと無邪気に笑ってみせたこの男はもはやカリスマ小児科医ではない。
ただの変態である。

「ってことで、これからもヨロシクね。ゲンキくん」

そして、こんな変態に魅入られてしまったオレは更なる変態なのかもしれないと自虐的な思いに陥り、再び涙ぐまずにはいられなかった。